ティトゥス・ペドゥカエウス
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ティトゥス・ペドゥカエウス T. Peducaeus | |
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出生 | 不明 |
死没 | 不明 |
出身階級 | プレブス |
氏族 | ペドゥカエウス氏族 |
官職 |
法務官代理または執政官代理?(紀元前48年) 補充執政官(紀元前35年) |
担当属州 | サルディニア・コルシカ属州?(紀元前48年) |
ティトゥス・ペドゥカエウス(ラテン語: Titus Peducaeus、生没年不明)は紀元前1世紀中期の共和政ローマの政治家・軍人。紀元前35年に補充執政官(コンスル)を務めた。
出自
[編集]プレブス(平民)であるペドゥカエウス氏族の出身。ペドゥカエウス氏族が歴史に登場するのは紀元前2世紀後半であり、紀元前113年にはセクストゥス・ペドゥカエウスが護民官となっており[1]、別のセクストゥスが紀元前77年に法務官に就任している[2]。しかし、本記事のペドゥカエウス以前に執政官に就任したものはいない。
経歴
[編集]氏族は既に元老院階級には属していたものの、ペドゥカエウスの経歴はよく分かっていない。古代の資料にも混乱があり、ペドゥカエウスに関連する出来事が、同じ氏族の別の人物に割り当てられている可能性もある。ペドゥカエウスは紀元前48年にカエサル派として、サルディニア・コルシカ属州の総督を務めた可能性がある。これはアッピアノスの記載に基づくが[3]、アッピアノスはこの人物のプラエノーメン(第一名、個人名)をセクストゥスとしている。しかしこれはティトゥスの間違いの可能性がある[4]。
紀元前40年、ヒスパニア属州総督ルキウス・アントニウスの下でレガトゥス(副官)を務めたと思われる[5]。紀元前35年にはルキウス・コルニフィキウスに代わって、補充執政官に就任した[6]。それ以外のことは不明である。
脚注
[編集]参考資料
[編集]古代の資料
[編集]- アッピアノス『ローマ史』
研究書
[編集]- Broughton, T. Robert S., The Magistrates of the Roman Republic, Vol I, II (1952)
- Shackleton-Bailey, D. R., Cicero: Letters to Atticus: Volume 4, Books 7.10-10 (2004)