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チャールズ・ムーア (初代チャールヴィル伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

初代チャールヴィル伯爵チャールズ・ムーア英語: Charles Moore, 1st Earl of Charleville PC (Ire)1712年1月24日1764年2月17日)は、アイルランド王国の貴族、フリーメイソン。1725年から1758年までムーア男爵の称号を使用した。

生涯

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初代ムーア男爵ジョン・ムーアと1人目の妻メアリー・ラム(Mary Lum、1681年11月7日(洗礼日) – 1722年11月7日、銀行家エルナサン・ラム(Elnathan Lum)の娘)の息子として、1712年1月24日に生まれた[1]。1725年9月8日に父が死去すると、ムーア男爵の爵位を継承、1729年10月16日にアイルランド貴族院議員に就任した[2]。また、1725年7月にダブリン大学トリニティ・カレッジに入学、1728年にB.A.の学位を、M.A.の学位を修得した[1]

1737年10月13日、ヘスター・コギール(Hester Coghill、1789年7月28日没、ジェームズ・コギールの娘)と結婚したが、子供を儲けることはなかった[1]

1746年9月12日にアイルランド枢密院英語版の枢密顧問官に任命され[1]、1758年8月1日にチャールヴィル伯爵に叙された[3]。1761年から1764年までキングス・カウンティ首席治安判事英語版を務めた[1]

1741年から1743年までと1760年から1761年までアイルランド・グランドロッジ英語版のグランドマスターを務めた[1]

1764年2月17日に死去、23日に埋葬された[1]。後継者がおらず、すべての爵位が断絶した[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 140–141.
  2. ^ Cokayne, George Edward, ed. (1893). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (L to M) (英語). Vol. 5 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 358.
  3. ^ "No. 9813". The London Gazette (英語). 29 July 1758. p. 2.
フリーメイソン
先代
ドナラル子爵
アイルランド・グランドロッジ・グランドマスター英語版
1741年 – 1743年
次代
サウスウェル男爵
先代
ドロヘダ伯爵
アイルランド・グランドロッジ・グランドマスター英語版
1760年 – 1761年
次代
サー・エドワード・キング準男爵
アイルランドの爵位
新設 チャールヴィル伯爵
1758年 – 1764年
断絶
先代
ジョン・ムーア
ムーア男爵
1725年 – 1764年