チャールズ・コーンウォリス (初代コーンウォリス伯爵)
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初代コーンウォリス伯爵チャールズ・コーンウォリス(英語: Charles Cornwallis, 1st Earl Cornwallis PC、1700年3月29日 – 1762年6月23日)は、イギリスの貴族。1722年までチャールズ・コーンウォリス閣下の儀礼称号を、1722年から1753年までコーンウォリス男爵の称号を使用した。
生涯
[編集]第4代コーンウォリス男爵チャールズ・コーンウォリスとシャーロット・バトラー(初代アラン伯爵リチャード・バトラーの娘)の息子として生まれた[1]。1717年11月9日、ケンブリッジ大学クレア・カレッジに入学した[2]。
1722年1月、父の死に伴いコーンウォリス男爵の爵位を継承した[1]。1740年に枢密顧問官、タワー・ハムレッツ統監およびロンドン塔管理長官に任命され[3]、1753年にコーンウォリス伯爵およびブローム子爵に叙されたほか[4]、南トレント巡回裁判官を務めた[2]。
1762年6月23日に死去、長男チャールズが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]第2代タウンゼンド子爵チャールズ・タウンゼンドの娘エリザベスと結婚した。
- メアリー(1736年6月6日 – 1770年12月28日) - 1769年8月13日、サミュエル・ウィットブレッドと結婚
- チャールズ(1738年 – 1805年) - 第2代コーンウォリス伯爵、後にコーンウォリス侯爵に叙爵
- ヘンリー(1740年9月10日 – 1761年4月) - 庶民院議員
- ジェームズ(1743年 – 1824年) - 第4代コーンウォリス伯爵、聖職者
- ウィリアム(1744年 – 1819年) - 海軍軍人
- エリザベス(1796年3月20日没) - 1753年7月、バウエン・サウスウェルと結婚
- シャーロット(1794年3月11日没) - 1756年4月8日、スペンサー・マダンと結婚
脚注
[編集]- ^ a b c Burke, John; Burke, John Bernard (1848). A Genealogical and Heraldic Dictionary of the Peerage and Baronetage of the British Empire (英語) (10th ed.). London: Henry Colburn. p. 244.
- ^ a b "Cornwallis, Charles (CNWS717C)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
- ^ "No. 7909". The London Gazette (英語). 10 May 1740. p. 2.
- ^ "No. 9279". The London Gazette (英語). 23 June 1753. p. 2.
司法職 | ||
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先代 タンカーヴィル伯爵 |
巡回裁判官 南トレント 1722年 – 1740年 |
次代 ジャージー伯爵 |
名誉職 | ||
空位 最後の在位者 レスター伯爵
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タワー・ハムレッツ統監 1740年 – 1762年 |
次代 ストラットンのバークリー男爵 |
ロンドン塔管理長官 1740年 – 1762年 | ||
グレートブリテンの爵位 | ||
爵位創設 | コーンウォリス伯爵 1753年 – 1762年 |
次代 チャールズ・コーンウォリス |
イングランドの爵位 | ||
先代 チャールズ・コーンウォリス |
コーンウォリス男爵 1722年 – 1762年 |
次代 チャールズ・コーンウォリス |