チェスター・ハーディング
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チェスター・ハーディング (Chester Harding、1866年12月31日 - 1936年11月11日) は、アメリカ合衆国の軍人、技術者である。
1884年にアラバマ大学で工学の学位を得た後、1889年にウェストポイントにある陸軍士官学校を卒業し、陸軍工兵隊に配属された。1890年に少尉、1895年に中尉、1898年に大尉に昇進。1908年7月にウイリアム・L. サイバート大佐(en:William L. Sibert)がパナマ運河建設の大西洋方面の技監(Division Engineer)になると、少佐になっていたハーディングが副官としてガツン・ロック水門を担当した。1915年にパナマ運河全体の保全管理担当者に昇格し、1917年1月から1921年にかけてパナマ運河地帯の総督を務めた。辞任時には大佐になっていた。
参考
[編集]- Bishop, Joseph Bucklin, "The Panama gateway", 1913, New York, C. Scribner's Sons
- Panama Canal Authority biography, CHESTER HARDING
先代 ジョージ・ワシントン・ゲーソルズ |
パナマ運河地帯総督 1917年 - 1921年 |
次代 ジェイ・ジョンソン・モロウ |