ダーフィット・ラマ
個人情報 | ||||||||||||||||||||||||
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国籍 | オーストリア | |||||||||||||||||||||||
生誕 |
1990年8月4日 オーストリア インスブルック | |||||||||||||||||||||||
死没 |
2019年4月16日 (28歳没) カナダワプティク連山ハウス・ピーク | |||||||||||||||||||||||
公式サイト |
www | |||||||||||||||||||||||
実績 | ||||||||||||||||||||||||
専門分野 |
スポーツクライミング ボルダリング アルパイン・クライミング | |||||||||||||||||||||||
最高記録 | ||||||||||||||||||||||||
著名な実績 | セロ・トーレ コンプレッサー・ルートのフリー化 | |||||||||||||||||||||||
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ダーフィット・ラマ (David Lama, ネパール語-डेभिड लामा, 1990年8月4日 - 2019年4月16日) は、オーストリアのクライマー、登山家である。Davidを英語式に発音して、デビッド・ラマと表記されることもある。
IFSCクライミング・ヨーロッパ選手権において、2006年にリード競技、2007年にはボルダリング競技で優勝した。パタゴニアのセロ・トーレ南東稜コンプレッサー・ルートのフリークライミングによる初登攀[1][2]でも知られる。
来歴
[編集]ネパールでガイドとして働いていた父親とオーストリアで看護師として働いていた母親の元に生まれた[3][4]。5歳のときに、ピーター・ハーベラーが主宰していたクライミングキャンプにおいて、ハーベラーにクライミングの才能を見出された。クライミング競技チームのメンバーとなり、15歳でワールドカップに出場し、そのシーズン中にリード競技、ボルダリング競技で勝利をあげた。2011年以降は競技会からは身を引き、アルパイン・クライミングに活動の場を移した。2009年からパタゴニア セロ・トーレ南東稜のコンプレッサー・ルートのフリー化に挑み、2012年に成功した。2013年、このフリー化に対して、ピオレドール賞の特別賞を受賞した[5][6]。また、ナショナル・ジオグラフィックの2013年アドベンチャーズ・オブ・ザ・イヤーのクライマー部門にも選出された[7]。しかし、2009年の最初のトライにおいて彼に同行したレッドブルの撮影クルーがルート上に約60本のボルトを新たに設置したことが強い批判を浴びた。
2018年11月、ヒマラヤ山脈のルナグ・リへの単独登頂に成功。この山への登頂は世界初とされる。ラマはこれまで3回ルナグ・リ登頂に挑んでおり、4回目での偉業達成となった[8]。
遭難
[編集]2019年4月16日、ハンスイェルク・アウアー、ジェス・ロスケリーと共にカナディアンロッキー、ワプティク連山ハウス・ピークの登山中に雪崩に遭遇。翌日からカナダ国立公園管理局による空中からの捜索が行われたが、生存は絶望視されていた。4月21日、他の2人とともに遺体が発見された[9][10]。
競技会での主な成績
[編集]ユース選手権
[編集]選手権
[編集]ワールドカップ
[編集]総合
[編集]ボルダリング競技
[編集]いずれも1位
- 2006年 UIAA クライミング・ワールドカップ ハル大会[13]
- 2008年 IFSC クライミング・ワールドカップ レユニオン大会[14]
- 2008年 IFSC クライミング・ワールドカップ フィエーラ・ディ・プリミエーロ大会[15]
リード競技
[編集]いずれも1位
- 2006年 UIAA クライミング・ワールドカップ ドレスデン大会[16]
- 2006年 UIAA クライミング・ワールドカップ ペンネ大会[17]
- 2006年 UIAA クライミング・ワールドカップ クラーニ大会[18]
- 2007年 IFSC クライミング・ワールドカップ イムスト大会[19]
- 2008年 IFSC クライミング・ワールドカップ イムスト大会[20]
ロック・クライミング
[編集]- 2000年 “キンダーガーテン Kindergarten (8a)”(オスプ、スロベニア) レッドポイント[21]
- 2004年 “7pm・JP・ショー 7pm JP Chaud (8c, 10+/11-)”(ルー渓谷、フランス)[22]
- 2015年 “アバータラ Avaatara (9a/5.14d)”(バータラ渓谷、レバノン) 初登 [23]
アルパイン・クライミング
[編集]- 2010年 “ブレント・チェントロ Brento Centro (8b/5.13d)”(サルケ、イタリア) フリー化(パートナー:ヨルグ・ベーホーベン)[24]
- 2011年 セロ・トーレ南東稜 “コンプレッサー・ルート Compressor Route”(パタゴニア、チリ)(パートナー:ペーター・オルトナー)
- 2011年 アイガー北壁 “ラ・パシエンシア La Paciencia” (グリンデルヴァルト、スイス)(パートナー:ペーター・オルトナー)[25]
- 2012年 セロ・トーレ南東稜 “コンプレッサー・ルート Compressor Route”(パタゴニア、チリ)フリー初登(パートナー:ペーター・オルトナー)[1]
- 2012年 トランゴ・タワー (6251m)(カラコルム山脈、パキスタン)(パートナー:ペーター・オルトナー)[26]
- 2012年 チョゴリザ (7665m)(カラコルム山脈、パキスタン)(パートナー:ペーター・オルトナー)[27]
- 2013年 ザグヴァントSagwand “Schiefer Riss Route”(チロル州、オーストリア)冬季初登(パートナー:ハンスイェルク・アウアー、ペーター・オルトナー)[28]
出演
[編集]- 2013年「クライマー パタゴニアの彼方へ」(原題:Cerro Torre: A Snowball's Chance in Hell) 監督:トーマス・ディルンホーファー
脚注
[編集]- ^ a b “David Lama frees the Compressor route… while Kruk & Kennedy's bolt chopping is hotly debated”. Planetmountain (2012年1月23日). 2016年11月21日閲覧。
- ^ David Lama (2012年2月1日). “Lama Reports on Free Compressor”. Alpinist. 2016年11月21日閲覧。
- ^ 伊藤 徳裕 (2014年8月16日). “記録映画「クライマー」の若きイケメン登山家、デビッド・ラマに迫る 独の鬼才監督作品を「あれは作り話」と“一刀両断””. 産経新聞社. 2016年11月21日閲覧。
- ^ “スポーツクライマーがアルピニストになった瞬間 デビッド・ラマ”. onyourmark (2014年9月4日). 2016年11月21日閲覧。
- ^ Chris Stanton (2013年4月10日). “David Lama Honoured In 2013 Piolets D'Or Awards”. Redbull. 2016年11月21日閲覧。
- ^ “Everyone Is a Winner at 2013 Piolets d'Or”. Climbing (2013年4月6日). 2016年11月21日閲覧。
- ^ “Climber David Lama”. National Geographic (2012年10月31日). 2016年11月21日閲覧。
- ^ “前人未到の偉業!ルナグリ山6907m単独で登頂成功”. テレビ朝日 (2018年11月28日). 2018年11月30日閲覧。
- ^ “David Lama, Hansjörg Auer, Jess Roskelley: farewell to three great mountaineers” (英語). Planet Mountain. (2019年4月19日) 2019年4月22日閲覧。
- ^ “雪崩で行方不明の登山家3人、遺体で発見 カナダ国立公園”. AFPBB NEWS. (2019年4月22日) 2019年4月23日閲覧。
- ^ Dougald MacDonald (2005年8月29日). “World Youth Championship”. Climbing. 2016年11月21日閲覧。
- ^ “IFSC Climbing Worldcup 2008 MEN combined”. digitalrock.de. 2016年11月21日閲覧。
- ^ “UIAA Climbing Worldcup (B) - Hall (AUT) 2006”. International Federation of Sport Climbing (2006年6月23日). 2016年11月21日閲覧。
- ^ “IFSC Climbing Worldcup (B) - Reunion (FRA) 2008”. International Federation of Sport Climbing (2008年5月5日). 2016年11月21日閲覧。
- ^ “IFSC Climbing Worldcup (B) - Fiera di Primiero (ITA) 2008”. International Federation of Sport Climbing (2008年6月15日). 2016年11月21日閲覧。
- ^ “UIAA Climbing Worldcup (L+S) - Dresden (GER) 2006”. International Federation of Sport Climbing (2006年5月20日). 2016年11月21日閲覧。
- ^ “UIAA Climbing Worldcup (L) - Penne (ITA) 2006”. International Federation of Sport Climbing (2006年11月12日). 2016年11月21日閲覧。
- ^ “UIAA Worldcup (L) - Kranj (SLO) 2006”. International Federation of Sport Climbing (2006年11月19日). 2016年11月21日閲覧。
- ^ “IFSC Climbing Worldcup (L) - Imst (AUT) 2007”. International Federation of Sport Climbing (2007年5月12日). 2016年11月21日閲覧。
- ^ “IFSC Climbing Worldcup (L) - Imst (AUT) 2008”. International Federation of Sport Climbing (2008年9月20日). 2016年11月21日閲覧。
- ^ “About me”. 2016年11月21日閲覧。
- ^ “I just wanna climb!”. ClimbAndMore.com. 2016年11月21日閲覧。
- ^ 『ROCK & SNOW』number 071、山と溪谷社、2016年4月、106-109頁、ISBN 9784635924399。
- ^ Meghan Ward (2010年7月14日). “Lama and Verhoeven Free 29-Pitch 5.13d”. Alpinist. 2016年11月21日閲覧。
- ^ Duncan Campbell. “MacLeod and Muskett Climb Paciencia, 8a, on the Eiger”. UKC. 2016年11月21日閲覧。
- ^ “Trango Tower, Eternal Flame for Lama, Ortner and Rich”. Planetmountain (2012年7月31日). 2016年11月21日閲覧。
- ^ Simon Schreyer (2012年10月3日). “David Lama Interview: Trango and Chogolisa”. Redbull. 2016年11月21日閲覧。
- ^ “Sagwand first winter ascent by Auer, Lama and Ortner”. Planetmountain (2013年3月20日). 2016年11月21日閲覧。
外部リンク
[編集]- David Lama - 公式サイト
- David Lama (DavidLama.official) - Facebook
- David Lama (@davidlama_official) - Instagram