ダンチョネ節
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「ダンチョネ節」(ダンチョネぶし)は、大正時代の流行歌[1][2]。作曲者および作詞者は不明。日本の神奈川県三浦市三崎町を中心に広まり、神奈川県の民謡とされる[1][注釈 1]。また、これをもとにした替え歌なども知られている。
概要
[編集]大正時代[1][2]から昭和にかけて[1]、酒席で[1]流行した歌。端唄ないしは俗謡として歌われた。各節の最後に入る囃子詞「ダンチョネ」は、漁師の掛け声とも「断腸の思い」から来ているともいい、語源に諸説あってはっきりしない。
民謡としての「ダンチョネ節」は船乗りの悲哀を歌っており、その節を使って色々な替え歌が作られた。東京高等商船学校の学生によって愛誦され(学生歌)、また軍隊でも唄われるようになった(いわゆる「兵隊ソング」)。東京高等商船学校に関しては練習船月島丸の遭難(1900年、学生79名を含む122名全員が消息不明)と関連付ける説があり[3]、その後継となった大成丸を歌い込んだ歌詞も伝えられる。
軍隊では飛行機乗りの悲哀を歌詞にしたものが残されている。「ダンチョネ」を「団長さんもね」という意味とする説は、「あの偉くて、いつも真面目に訓示を垂れて説教をする団長さんでさえもね」というのが由来。神風特別攻撃隊の若者を描いた『あゝ同期の桜』では少尉役の千葉真一が浜辺で歌っている。
歌い手
[編集]※発表年順。
- 小林旭 -「アキラのダンチョネ節」(1960年、作詞: 西沢爽、作曲: 遠藤実)。原曲に遠藤の新たなメロディが追加されている[4]。
- ザ・ピーナッツ -『祇園小唄~ピーナッツのムード民謡』(1963年)
- 千葉真一 -『あゝ同期の桜』(1967年)
- 沖山秀子 -(1970年)
- 鶴田浩二 -『あゝ軍歌』(1970年)
- ザ・ドリフターズ -『ドリフの軍歌だよ全員集合』(1971年)
- 八代亜紀 -「舟唄」(1979年)でダンチョネ節を歌い込まれている。
- ソウル・フラワー・モノノケ・サミット -『レヴェラーズ・チンドン』(1997年)
- ちあきなおみ -『VIRTUAL CONCERT 2003 朝日のあたる家』(2003年)