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ダンチョネ節

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ダンチョネ節」(ダンチョネぶし)は、大正時代流行歌[1][2]。作曲者および作詞者は不明。日本神奈川県三浦市三崎町を中心に広まり、神奈川県民謡とされる[1][注釈 1]。また、これをもとにした替え歌なども知られている。

概要

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大正時代[1][2]から昭和にかけて[1]、酒席で[1]流行した歌。端唄ないしは俗謡として歌われた。各節の最後に入る囃子詞「ダンチョネ」は、漁師の掛け声とも「断腸の思い」から来ているともいい、語源に諸説あってはっきりしない。

民謡としての「ダンチョネ節」は船乗りの悲哀を歌っており、その節を使って色々な替え歌が作られた。東京高等商船学校の学生によって愛誦され(学生歌)、また軍隊でも唄われるようになった(いわゆる「兵隊ソング」)。東京高等商船学校に関しては練習船月島丸の遭難(1900年、学生79名を含む122名全員が消息不明)と関連付ける説があり[3]、その後継となった大成丸を歌い込んだ歌詞も伝えられる。

軍隊では飛行機乗りの悲哀を歌詞にしたものが残されている。「ダンチョネ」を「団長さんもね」という意味とする説は、「あの偉くて、いつも真面目に訓示を垂れて説教をする団長さんでさえもね」というのが由来。神風特別攻撃隊の若者を描いた『あゝ同期の桜』では少尉役の千葉真一が浜辺で歌っている。

歌い手

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※発表年順。

脚注

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注釈

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  1. ^ 『大辞林 第三版』では源流不明としつつ、三崎を中心に広まったとする[1]

出典

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  1. ^ a b c d e f だんちょね節”. 大辞林 第三版(コトバンク所収). 三省堂. 2019年4月5日閲覧。
  2. ^ a b だんちょね節”. デジタル大辞泉コトバンク所収). 小学館. 2019年4月5日閲覧。
  3. ^ 七呂光雄. “月島丸遭難と静岡市(清水)にある清見寺”. 一般社団法人全日本船舶職員協会. 2019年4月5日閲覧。
  4. ^ 読売新聞』1960年6月27日付夕刊、5頁。

関連項目

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