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ダリス・ラ・カリベーニャ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ダリス・ラ・カリベーニャ
プロフィール
リングネーム ダリス・ラ・カリベーニャ
誕生日 (1975-02-20) 1975年2月20日(49歳)[1]
出身地 パナマの旗 パナマ[1]
所属 AAA
トレーナー ネグロ・カサス
CMLL Wrestling school
デビュー 2009年10月6日
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ダリス・ラ・カリベーニャDalys la Caribeña1975年2月20日[1] - )は、パナマ[1]出身の女子プロレスラーCMLL所属。テクニカ。父も元プロレスラーで現在は母国でプロモーター。SMASHWNCに来日歴のあるベネノは兄[2]。夫はネグロ・カサス[3]

2022年、ネグロ・カサスと共にライバル団体・AAAに登場した。CMLLはこの事態にダリスが保持しているタイトルの剥奪を発表した。

来歴

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2009年10月6日CMLL世界女子王座挑戦権を懸けた「torneo cibernetico」で正式デビュー。

2012年、REINA初来日、初戦はゴヤ・コング星ハム子との3WAYだったが、ゴヤのラストライド→エビ固めで敗れる[3]。5月13日の後楽園ホールセウシス、ゴヤと組み、下田美馬Ray中川ともかと6人タッグで対戦するが、セウシスが下田のタイガースープレックスホールドに屈する[4]KAIENTAI DOJOにも参戦した。

2014年3月24日、マルセラに敗れ髪を刈られた[5]

2022年、ネグロ・カサスと共にライバル団体・AAAに登場した。CMLLはこの事態にダリスが保持しているタイトルの剥奪を発表した。

得意技

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  • La Casita

タイトル歴

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エピソード

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  • 2009年にデビューする際、夫のネグロ・カサスからロッシー小川に対して日本で修行させるための協力を求めていたが、小川からは「あなた(ネグロ)が日本に来たいんでしょ?」と断られた[6]

脚注

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  1. ^ a b c d Muñoz, Javier (2009年8月19日). “"Siempre me he divertido luchando": Negro Casas” (スペイン語). Box y Lucha Magazine. 2010年1月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年8月21日閲覧。
  2. ^ Enciclopedia staff (2007年8月). “Enciclopedia de las Mascaras” (スペイン語). Gran Markus, Jr. (メキシコシティ): p. 47. Tomo II 
  3. ^ a b “初登場ダリス・ラ・カリペーニャ元気 羽沙羅改名 下田美馬凱旋帰国『REINA 32』”. ファイト!ミルホンネット. (2012年4月29日). http://miruhon.net/news/2012/04/_reina_32.html 2014年8月17日閲覧。 
  4. ^ “堀田祐美子のREINAは一旦解散、大流血戦でコマンダンテに勝利も衝撃の幕切れ~旗揚げ一周年後楽園ホール大会”. ファイト!ミルホンネット. (2012年5月13日). http://miruhon.net/news/2012/05/reina_3.html 2014年8月17日閲覧。 
  5. ^ Salazar López, Alexis (2014年3月22日). “Homenaje a Dos Leyendas” (スペイン語). Consejo Mundial de Lucha Libre. 2014年3月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月24日閲覧。
  6. ^ ロッシー小川 (2010年8月9日). “ネグロ・カサスの嫁は…?”. 2014年8月17日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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