ダニエレ・アダーニ
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Daniele Adani | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1974年7月10日(50歳) | |||||
出身地 | コッレッジョ | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1992–1994 | モデナ | 48 | (1) | |||
1994 | ラツィオ | 0 | (0) | |||
1994–1999 | ブレシア | 159 | (8) | |||
1999–2002 | フィオレンティーナ | 75 | (4) | |||
2002–2004 | インテル | 30 | (2) | |||
2004–2005 | ブレシア | 13 | (0) | |||
2005–2006 | アスコリ | 3 | (0) | |||
2006-2008 | エンポリ | 21 | (0) | |||
2009-2011 | サマルティネーゼ | 47 | (11) | |||
代表歴 | ||||||
2000-2004 | イタリア代表 | 5 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ダニエレ・アダーニ(Daniele Adani、1972年6月26日 - )は、イタリア、コッレッジョ出身の元サッカー選手で指導者。現役時代のポジションはセンターバック。引退後はスカイ・スポーツなどのサッカー解説者をしている[1]。
経歴
[編集]モデナの下部組織出身[1]。1994年にラツィオに加入したが、1試合も出場しないままブレシアへと移籍した[1]。ブレシアで5シーズンを過ごした後、1999-00シーズンにフィオレンティーナ加入、コッパ・イタリアの優勝も果たすが、2002年にチームが破産すると インテルへと移籍した[1]。インテルでの1シーズン目は殆ど起用されなかったが、2シーズン目はレギュラーに近い選手となり、多くの試合に出場した。
2004-05シーズンに古巣ブレシアに複帰したが、この頃のブレシアは多くの問題を抱え、トラブルが相次いでいた。アダーニはトレーニング中にファンに襲撃され、これによりシーズン途中でチームとの契約を解除して退団した[1]。2011年にアマチュアクラブのサマルティネーゼで現役を引退した。
2000年9日、フィオレンティーナで指導を受けた、ジョヴァンニ・トラパットーニ代表監督によってFIFAワールドカップ・予選のハンガリーとの試合に向けたメンバーとして初召集された[2]。同年11月15日にイングランドとの親善試合で代表デビュー、2002年の2002 FIFAワールドカップメンバー決定前最後の代表戦、ウルグアイ戦でも起用されたが、大会メンバーには選出されなかった。通算では5回の代表キャップがある[1]。
タイトル
[編集]- フィオレンティーナ
- コッパ・イタリア : 2000-01
脚注
[編集]- ^ a b c d e f “L'Adani calciatore: l'Inter, i trofei alla Fiorentina e il troppo amore per il Brescia”. GOAL (2023年7月10日). 2023年7月23日閲覧。
- ^ “Daniele Adani National team”. TRANSFERMARKT. 2023年7月23日閲覧。