ダニエル・エストラーダ
基本情報 | |
---|---|
本名 | ペドロ・ダニエル・エストラーダ・エスピティア |
通称 | Tremendo(驚異的な男) |
階級 | ライト級 |
身長 | 179cm |
国籍 | メキシコ |
誕生日 | 1985年5月4日(39歳) |
出身地 | メキシコシティ |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 37 |
勝ち | 32 |
KO勝ち | 24 |
敗け | 4 |
引き分け | 1 |
ダニエル・エストラーダ(Daniel Estrada 、1985年5月4日 - )は、メキシコの男性プロボクサー。 メキシコシティ出身。
来歴
[編集]2004年6月5日、プロデビューを果たし4回判定勝ちで白星でデビューを飾った。
2005年7月20日、ホセ・エリミオ・ペレアと対戦し4回1-2の判定負けでキャリア初黒星がついた。
無敗をキープし2009年2月20日、ホエル・オルテガとCABOFEカリブライト級王座決定戦を行い8回TKO勝ちで王座獲得に成功した。
その後2度防衛し2009年9月15日、カルロス・ラモン・マイレアとWBC世界ライト級ユース王座決定戦を行い3回KO勝ちで王座獲得に成功した。
ユース暫定王座から正規王座に昇格し3度防衛したエストラーダは2度CABOFE王座も防衛に成功する。
2010年9月11日、レイエス・サンチェスとWBC世界ライト級シルバー王座決定戦を行い12回1-2の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。
2011年3月11日、アルツロ・ゴメスとWBCアメリカ大陸ライト級王座決定戦を行い7回3-0の負傷判定勝ちを収め王座獲得に成功した。
2011年9月24日、レネ・ゴンサレスとFECARBOX中米ライト級王座決定戦を行い11回終了時にゴンサレスが棄権した為TKO勝ちを収めで王座獲得に成功した。
2012年8月11日、アドリアン・バルデホとWBC世界ライト級シルバー王座決定戦を行い、11回29秒TKO勝ちを収め王座獲得に成功した。
2012年11月24日、荒川仁人と対戦し左目を腫らしながらもなんとか戦うも10回終了3-0(2者が98-92、99-91)の負傷判定勝ちを収め初防衛に成功した[1][2][3]。試合後、カンクンで開催中のWBC年次総会で荒川陣営の不服申し立てを受けてWBCは再戦を支持、エストラーダ陣営も再戦に合意し再戦する見通しとなったのだが[4]、エストラーダが拒否したため再戦は中止となった。
2013年4月19日、イサイス・サントス・サンパイオと対戦し、6回TKO勝ちを収め2度目の防衛に成功した。
2014年8月16日、スタブハブ・センターでWBC世界ライト級王者のオマール・フィゲロアと対戦し、9回1分TKO負けを喫し王座獲得に失敗した[5][6]。
2015年1月31日、O2アリーナでケビン・ミッチェルとWBC世界ライト級挑戦者決定戦を行い、8回1分12秒TKO負けを喫しホルヘ・リナレスへの挑戦権獲得に失敗した[7]。
獲得タイトル
[編集]- CABOFEカリブライト級王座
- WBC世界ライト級ユース暫定王座(後に正規王座に昇格)
- WBC世界ライト級ユース王座
- WBCアメリカ大陸ライト級王座
- FECARBOX中米ライト級王座
- WBC世界ライト級シルバー王座
脚注
[編集]- ^ “ESTRADA DEFEATS ARAKAWA IN TOUGH CLASH IN MEXICO; ARAKAWA WANTS REMATCH (PHOTOS)”. PhilBoxing.com (November 26, 2012). March 15, 2014閲覧。
- ^ 荒川が負傷判定負け WBCライト級挑戦者決定戦 ボクシングニュース「Box-on!」 2012年11月25日
- ^ 「不可解な負け」に泣いた荒川が帰国 ボクシングニュース「Box-on!」 2012年11月28日
- ^ 荒川×エストラーダ WBC再戦を認可 ボクシングニュース「Box-on!」 2012年12月6日
- ^ “Omar Figueroa stops Daniel Estrada to retain WBC belt”. Bad Left Hook (2014年8月16日). 2015年2月1日閲覧。
- ^ フィゲロア9回TKO勝ち、WBCライト級タイトル戦 Boxing News(ボクシングニュース) 2014年8月17日
- ^ ロドリゲス決着戦勝利、ライト級エストラーダ完敗 Boxing News(ボクシングニュース) 2015年2月1日
関連項目
[編集]