ダイマル・ラケットのみんなの歌謡曲
ダイマル・ラケットのみんなの歌謡曲(ダイマルラケットのみんなのかようきょく)は、中部日本放送(CBCラジオ)で1967年1月9日 - 1982年9月10日の月曜日 - 金曜日に放送されていたミニ番組である。
概要
[編集]出演者は、番組のタイトルにもある様に中田ダイマル・ラケットである(但し番組内では、単に「みんなの歌謡曲」とだけタイトルコールされていた)。放送時間は、初期の頃は16時36分 - 17時で、CBCラジオ初の夕方の生ワイド番組『多田しげおのそれ行け!にっこりワイド』の開始以降は15時40分 - 16時の20分番組であった。
番組の内容は、放送当時にヒットしていた歌謡曲を1コーラスかけながら、合間に名古屋を始めとする東海地方の企業・店舗からのCMを、2人が漫才風に伝えるという、いわゆるインフォマーシャル番組であった。
曲間のCMは3本程度であり、CMとCMの間には、ピアノやオルガンによる5秒程度のジングルが流れていた。 CMも、長年繰り返し放送されていたものから、年に数回録音し直すものなど様々だったが、基本的なコンセプトは番組終了まで変わることもなく、結果的に15年も続く長寿番組となった。
なお、大阪の朝日放送(ABCラジオ)でも1960年ごろから1975年にかけて、同じ題名・同じコンセプト(ただし番組内で流れていたCMは勿論関西の企業・店舗のものである)の番組がウイークデーの14時10分 - 14時50分の間(1970年4月から月 - 金曜日)放送され、 1968年ころまでは南都雄二が加わっていた。
ダイマルの急逝と突然の番組終了
[編集]1982年9月5日、ダイマルが胃潰瘍による腹膜炎のため急逝。ダイマルは死の直前までは元気で、CBCに出向いて数週分の録りだめをしていた。ダイマル死去のニュースは9月6日(月曜日)に報じられたが、その日の放送では、冒頭でCBCのアナウンサーがダイマル死去のニュースを伝え、「これがダイマルさん最後の放送となります。」とコメントして、生前に録音していた番組を通常通り放送した。翌日(9月7日)からは、録音されていた番組は使用せずに、アナウンサーが曲を紹介して、合間に通常のCMが流れる形で4日間放送されたが、9月10日(金曜日)をもって放送を終了した。
以後、翌週より放送を開始した『シンマとミミの歌謡ドライブ』(出演:新間正次・水谷ミミ(現・旭堂風鱗)、1982年9月13日 - 1983年12月30日放送)、更に『唄啓のこれは得だすお聞きやす』(出演:京唄子・鳳啓助、1984年1月2日 - 1994年7月29日放送)、『いくよ・くるよのもうかりまっか?』(出演:今いくよ・くるよ、1994年8月1日 - 2012年3月30日放送)と、出演者と番組名の変更を繰り返しながらも、『みんなの歌謡曲』のコンセプトを継承した番組は約45年3ヶ月にわたって続いた。
番組テーマ曲
[編集]三波春夫の『チャンチキおけさ』のインストルメンタルバージョンであった。1971年ごろから小柳ルミ子の『わたしの城下町』になった。