ダイニコトブキ
ダイニコトブキ | |
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品種 | サラブレッド系種 |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1955年5月28日 |
父 | シマタカ |
母 | メイヂー |
母の父 | 大鵬 |
生国 | 日本(北海道浦河町) |
生産者 | 土肥守一 |
馬主 | 出川日出 |
調教師 |
出川己代造(船橋) →不明(中央競馬) →出川己代造(船橋) |
競走成績 | |
生涯成績 | 59戦29勝(内中央競馬3戦0勝) |
獲得賞金 | 1756万7000円(内中央競馬9万2000円) |
勝ち鞍 |
春の鞍(1958年) |
ダイニコトブキは、サラブレッド系種の日本の競走馬である。豪サラの名牝ミラの牝系に属し、4歳時には南関東出身馬として初めて秋の鞍を制した。
※以下、馬齢はすべて2000年以前に使用された旧表記(数え年)にて記述する。
戦績
[編集]3歳
[編集]1955年5月28日に浦河町で生を受けたダイニコトブキは、3歳になると船橋・出川己代造厩舎へと入厩する。出川はこののち「コトブキ」の名を冠した活躍馬を多く手がけることとなるが[1]、本馬はその最初期の1頭である。
しかし、デビュー当初のダイニコトブキの戦績は決して芳しいものではなかった。この年の南関東競馬の3歳馬では、ダイゴホマレが重賞の全日本三歳優駿を含む8戦8勝の戦績を収めている。一方のダイニコトブキは、同じく8戦を消化して条件戦を2勝したのみだった。
4歳
[編集]年が明けて、ダイゴホマレが東京優駿を目指して中央競馬へ転出していくと、ダイニコトブキも本格化を迎える。4月には浦和の桜花賞、大井盃(後の羽田盃)とカツミナミを下して重賞を連勝し、大一番の春の鞍(後の東京ダービー)でも2番手追走から残り800mで先頭にたつ横綱競馬で勝利した。8月には浦和のゴールドカップも60キロを背負いながら快勝したことで、この年施行されたサラブレッド4歳馬限定重賞の完全制覇を達成している。
古馬を相手にとっても地元船橋のNTV盃を制したが、金盃では同じくサラブレッド系種の強豪ヨシフサ[2]の2着に敗れ、連勝も8でストップする。それでも本番の秋の鞍(後の東京大賞典)では、2年前の春の鞍を逃げ切ったオートネのハナを叩き返すと、そのまま2600mの長丁場を逃げ切った。1955年の創設以来、同競走の勝ち馬は3頭とも国営・中央競馬からの転入馬であり、本馬は南関東競馬出身馬初の同競走勝ち馬であった。12月の川崎開催のオープン戦もなんなく制し、この年を18戦15勝という戦績で終えた。
5歳以降
[編集]天皇賞・春を目指して中央競馬への転出が決まったが、移籍前最後のレースとなった正月大井の重賞・新春盃では、14キロ差の斤量もあって伏兵ユウセイの2着に敗れている。中央移籍後の戦績は奮わず、また脚部不安もあって結局3戦0勝と期待外れの結果に終わった。その後6歳一杯は全休したのち、7歳春に出川厩舎へと復帰する。いったんはB級に格付けされたが3月末の船橋・京葉盃、4月半ばの大井・スプリングカップとB級の準重賞を連勝すると、5月に施行された地元のダイオライト記念で同門・ダイサンコトブキの2着。6月には大井記念で久々の重賞制覇を果たした。秋の鞍でもサキミドリの2着に好走している。
8歳時にも上半期で11戦してダイオライト記念を始め3勝を挙げるなど活躍していたが、脚部不安が再発したことで引退。生産の土肥牧場で種牡馬入りしたが、サラブレッド系種ということもあって目立った産駒は出ていない。
血統表
[編集]ダイニコトブキの血統(ブランドフォード系 / シアンモア 3×3=25%) | (血統表の出典) | |||
父 シマタカ 1944 鹿毛 |
父の父 プリメロPrimero 1931 鹿毛 |
Blandford 1919 | Swynford 1907 | |
Blanche 1912 | ||||
Athasi 1917 | Farasi 1903 | |||
Athgreany 1910 | ||||
父の母 第参マンナ1937 栗毛 |
シアンモア Shian Mor 1924 |
Buchan 1916 | ||
Orlass 1914 | ||||
マンナ 1928 | クラツクマンナン Clackmannan 1919 | |||
第三フラストレート 1910 | ||||
母 メイヂー 1946 鹿毛 (サラ系) |
大鵬 1929 黒鹿毛 |
シアンモア Shian Mor 1924 |
Buchan 1916 | |
Orlass 1914 | ||||
フリツパンシー Flippancy 1924 |
Flamboyant 1918 | |||
Slip 1909 | ||||
母の母 久忠1934 鹿毛 (サラ系) |
トウルヌソル Tournesol 1922 |
Gainsborough 1915 | ||
Soliste 1910 | ||||
博忠 1925 (サラ系) |
チヤペルブラムプトン Chapel Brampton 1912 | |||
種信 1918(サラ系) |
- 父シマタカは重賞勝ちこそなかったが、フラストレート~マンナの牝系に属し1950年の二冠馬クモノハナの全兄。種牡馬としてはこのダイニコトブキを始め成功し、1958年の菊花賞馬コマヒカリらを出している。4代目母種信は第1回東京優駿の勝ち馬ワカタカの母。
- 半妹ミユキヒメ(父ボストニアン)の曾孫にタカフジミノル(東京ダービー、羽田盃)がいる。
参考文献
[編集]啓衆社『競週地方競馬』1962年6月号(本馬の引退記事有)
脚注
[編集]- ^ そのほか、ダイサンコトブキ(外部リンク)、コトブキノニ(外部リンク)、ダイゴコトブキ(外部リンク)などがいる。これらの馬には馬主・調教師以外に血統などの共通点はない。
- ^ 中央時代の勝ち鞍に安田賞・クモハタ記念。