タルマシリン
アラーウッディーン・タルマシリン(Älâ'ud-Dīn Tarmashīrīn、? - 1334年)はチャガタイ・ハン国のハン(在位:1326年[1][2]or1331年[3] - 1334年)。チャガタイ・ハン国の15,17代目君主ケベクの弟にあたる[4]。「アラーウッディーン」はイスラム教に改宗した際の尊称であり[5]、「タルマシリン」は仏教に由来するサンスクリットの「ダルマシュリー(Dharmasri)」が原形だと考えられている[2]。
タルマシリンはケベクと同じくカシュカ川流域に住み、テュルクの言語を話したという[6]。1326年秋にジャイフーン川を渡ってイルハン朝支配下のホラーサーン地方に侵入するが、ガズナ近郊でイルハン朝のアミール・チョバンの子アミール・フサインに敗れ、退却する[7]。1327年/28年にタルマシリンの軍はインドに侵入し、トゥグルク朝の中心部に近いバダーウーンに達した[8]。タルマシリンはトゥグルク朝から和平の代償として金、宝石を受け取り、帰還の途上インダス、グジャラート地方で略奪を行った[9]。タルマシリンの行軍は侵攻を目的とする説のほか、トゥグルク朝に援助を求めるために行われた説がある[8]。
タルマシリン即位当時のチャガタイ・ハン国はモンゴルの伝統的な信仰と慣習を維持しようとする守旧派とイスラーム法に基づく新体制を築こうとする改革派が争い、タルマシリンはイスラム教に改宗しながらも伝統的な信仰と慣習を維持する中間の立場をとっていた[10]。イスラム国家であるトゥグルク朝への遠征は国内のテュルク系アミール(貴族)からの反発を招き、ブザン、ジンクシら他の王族を擁す守旧派勢力からも非難される[10]。イリ地方の遊牧民はイスラム教を信仰するタルマシリンをヤサ(モンゴルの伝統的な法)に背く人間と非難し、ブザン、ジンクシを擁立した[11]。1334年にタルマシリンは反乱軍によって殺害される[12]。
14世紀の旅行家イブン・バットゥータはブハラ近郊でブザンらの攻撃から逃亡するタルマシリンと面会し、『大旅行記』で当時のチャガタイ・ハン国の政情を述べている[13]。イブン・バットゥータはタルマシリンの最期についてケベクの子のヤンキーによって捕らえられた後処刑されたという情報のほか、インドを経てイラン南部のシーラーズに亡命したという情報を伝えている[14]。
妻子
[編集]- 妻
- オルダ・ハトゥン(Urda)・・・ハトゥンの一人
- 娘
- セウィンチ・クトゥルク(Siwinch Qutluq)・・・アリー・ダルウィーシュの母[15]
脚注
[編集]- ^ ルネ・グルセ『アジア遊牧民族史』下(後藤富男訳, ユーラシア叢書, 原書房, 1979年2月)、545頁
- ^ a b Barthold『Four studies on the history of Central Asia』、134頁
- ^ 川口琢司『ティムール帝国』(講談社選書メチエ, 講談社, 2014年3月)、34頁
- ^ バットゥータ『大旅行記』4巻(家島訳注)、238頁
- ^ バットゥータ『大旅行記』4巻(家島訳注)、237-238頁
- ^ 堀川「モンゴル帝国とティムール帝国」『中央ユーラシア史』、201頁
- ^ ドーソン『モンゴル帝国史』6巻、319-320頁
- ^ a b 佐藤、中里、水島『ムガル帝国から英領インドへ』、50,52頁
- ^ ドーソン『モンゴル帝国史』6巻、234頁
- ^ a b バットゥータ『大旅行記』4巻(家島訳注)、244頁
- ^ バットゥータ『大旅行記』4巻(家島訳注)、222,460頁
- ^ 堀川「モンゴル帝国とティムール帝国」『中央ユーラシア史』、202頁
- ^ バットゥータ『大旅行記』4巻(家島訳注)、222-223,460頁
- ^ バットゥータ『大旅行記』4巻(家島訳注)、181-185頁
- ^ 川口 2007p,35
参考文献
[編集]- 佐藤正哲、中里成章、水島司『ムガル帝国から英領インドへ』(世界の歴史14, 中央公論社, 1998年9月)
- 堀川徹「モンゴル帝国とティムール帝国」『中央ユーラシア史』収録(小松久男編, 新版世界各国史, 山川出版社, 2000年10月)
- ウェ・バルトリド『中央アジア史概説』(長沢和俊訳, 角川文庫, 角川書店, 1966年)
- イブン・バットゥータ『大旅行記』4巻(家島彦一訳注, 東洋文庫, 平凡社, 1999年9月)
- C.M.ドーソン『モンゴル帝国史』6巻(佐口透訳注, 東洋文庫, 平凡社, 1979年11月)
- V.V. Barthold『Four studies on the history of Central Asia』(Minorsky, T、Minorsky, Vladimir訳, E.J. Brill, 1956年)
- 川口琢司『ティムール帝国支配層の研究』(北海道大学出版会、2007年、ISBN 9784832966765)
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