タタールスタンの首長
タタールスタン共和国 首長(ライス) Татарстан Республикасы Рәисе Глава (Раис) Республики Татарстан | |
---|---|
首長旗 | |
所在地 | カザン |
任期 | 5年、再選上限なし |
前身 | 共和国最高会議議長 |
創設 | 1991年7月4日 |
初代 | ミンチメル・シャイミーエフ |
ウェブサイト | https://rais.tatarstan.ru/ |
タタールスタンの首長(ライス)(タタールスタンのしゅちょう(ライス)、タタール語: Татарстан Республикасы Рәисе[1]、ロシア語: Глава (Раис) Республики Татарстан[2])は、ロシア連邦内タタールスタン共和国における政府の最高位の官職。タタール語の名称およびロシア語の別名として用いられているライス(Rais)とはアラビア語で「指導者」「大統領[注 1]」という意味である[3]。
概要
[編集]任期は5年。2022年の憲法改正により再選上限が撤廃され、タタール語およびロシア語話者以外であっても立候補が可能になった[4]。
1991年から2022年まではタタールスタン共和国大統領(ロシア語: Президент Республики Татарстан、タタール語: Татарстан Республикасы Президенты)と呼称されていた。2010年にロシアの共和国の元首格を「大統領」と呼称することを禁止する法律が成立し、移行期限の2015年までに他の20共和国は呼称を首長へ随時変更していたが、タタールスタンは2023年2月まで大統領と称し続けた[5]。ロシア政府が中央集権化を進めていく中で唯一「大統領」を名乗り続けたタタールスタンは、ロシア連邦主義の最後の象徴とみなされていた[6]。
歴史
[編集]ロシア連邦を構成する21の共和国では元首格の役職名として大統領ではなく首長という呼称を使用することが2010年9月13日に提案され[7]、2010年末に可決された[5]。移行期間は5年間とされ、中にはバシコルトスタン共和国のように期限の2015年1月1日まで変更しなかった共和国もあったが、タタールスタンは改憲の動きを見せつつも最後まで何も変更しなかった[5]。下院はタタールスタンに1年間の猶予を追加で与えることを決定したが、タタールスタンは呼称変更には否定的な態度を取り続けた[5]。2015年12月17日、ウラジーミル・プーチン大統領は記者会見で「タタール人の選択を尊重する」と述べ、タタールスタンに即時変更を求めない姿勢を示した[5][8]。そのためタタールスタンは2020年の首長選挙後も大統領を名乗り続けた。
2021年ロシア下院選挙の後、ロシア連邦議会国家院(下院)に「連邦構成体首長の称号の統一」を目的とした法案が提出された[8]。同法案はタタールスタンを狙い撃ちしたものと受け取られ、タタールスタン共和国の議会にあたる国務院は反対した[9]。しかし法案は2021年11月に下院で可決され[10]、連邦院(上院)を経て12月15日にプーチン大統領が署名した[11]。2022年6月1日に法案が施行され、タタールスタン政府は2023年までに憲法を改正する方針を発表した[12]。
2022年12月23日、共和国国務院は大統領に代わる新たな役職名を、アラビア語で「指導者」「首長」を意味するライス(露: Раис)を付け加えた Глава — Раис Республики Татарстан に決定した[6][13]。現職のミンニハノフには、任期満了を迎える2025年9月まで「大統領」を保持する移行措置が執られることになった[14]。だが憲法改正を急ぐ国務院は2023年1月26日に突如移行措置の破棄を決定した。同日、ミンニハノフは憲法改正案に署名した[15]。
2023年2月6日、新憲法の施行により役職名が首長(ライス)に変更された[16]。
歴代首長一覧
[編集]本項ではタタールスタン共和国の前身にあたるタタール自治ソビエト社会主義共和国における最高職も含めている。
ソ連時代
[編集]事実上の首長
[編集]代 | 肖像 | 氏名 | 就任日 | 退任日 | 備考 | |
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ロシア共産党(ボリシェヴィキ)/ 全連邦共産党(ボリシェヴィキ)[注 2]タタール州委員会 責任書記[17] | ||||||
1 | アレクサンドル・タニャエフ | 1920年8月 | 1920年12月 | |||
2 | ドミトリー・オルロフ | 1920年12月 | 1921年1月 | |||
3 | カルル・フィゲ | 1921年1月 | 1921年3月 | |||
4 | ニコライ・バルィシェフ | 1921年3月 | 1921年6月 | |||
5 | アレクサンドル・カルポフ | 1921年6月 | 1921年12月 | |||
6 | アレクセイ・ガラクチオノフ | 1922年1月 | 1922年6月5日 | 在任中に事故死。 | ||
7 | ドミトリー・ジヴォフ | 1922年6月 | 1923年11月 | |||
8 | ボリス・ピンソン | 1923年12月 | 1924年1月 | |||
代行 | イヴァン・バジャーノフ | 1924年1月 | 1924年3月 | |||
9 | イヴァン・モロゾフ | 1924年3月 | 1925年11月5日 | |||
10 | メンデリ・ハタエヴィチ | 1925年11月5日 | 1928年6月7日 | |||
11 | ミハイル・ラズモフ | 1928年6月7日 | 1931年 | |||
全連邦共産党(ボリシェヴィキ)/ ソビエト連邦共産党[注 3]タタール州委員会 / タタール地方委員会[注 4] / タタール共和国委員会[注 5] 第一書記[17] | ||||||
11 | ミハイル・ラズモフ | 1931年 | 1933年10月 | |||
12 | アドリフ・レパ | 1933年10月 | 1937年8月26日 | |||
13 | アレクサンドル・アレマソフ | 1938年6月19日 | 1942年3月9日 | 1937年8月26日から1938年6月10日まで代行。 | ||
14 | アナトリー・コルィバノフ | 1942年3月9日 | 1943年7月8日 | |||
15 | ウラジーミル・ニキーチン | 1943年7月8日 | 1944年12月28日 | |||
16 | ジンナト・ムラトフ | 1944年12月28日 | 1957年6月6日 | |||
17 | セミョーン・イグナチェフ | 1957年6月6日 | 1960年10月28日 | |||
18 | フィクリャト・タベーフ | 1960年10月28日 | 1979年11月2日 | |||
19 | ラシド・ムシン | 1979年11月2日 | 1982年10月2日 | 在任中に死去。 | ||
代行 | ヴァシリー・デルグノフ | 1982年10月2日 | 1982年10月29日 | |||
20 | グメル・ウスマノフ | 1982年10月29日 | 1989年9月23日 | |||
21 | ミンチメル・シャイミーエフ | 1989年9月23日 | 1990年9月23日 | |||
22 | レヴォ・イディアトゥッリン | 1990年9月23日 | 1991年8月29日 |
法令上の首長
[編集]代 | 肖像 | 氏名 | 就任日 | 退任日 | 政党 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
タタール革命委員会議長[18] | ||||||
1 | サヒブ=ガレイ・サイド=ガリエフ | 1920年7月8日 | 1920年9月26日 | ロシア共産党(ボリシェヴィキ) | ||
タタール自治ソビエト社会主義共和国[注 6] 中央執行委員会議長[20] | ||||||
1 | ブルハン・マンスロフ | 1920年9月 | 1921年6月25日 | ロシア共産党(ボリシェヴィキ) | ||
2 | ラウフ・サビロフ | 1921年6月 | 1924年12月 | ロシア共産党(ボリシェヴィキ) | ||
3 | シャイガルダン・シャイマルダノフ | 1924年12月 | 1927年9月 | ロシア共産党(ボリシェヴィキ) | ||
4 | ミンニガレイ・アフメトシン | 1927年9月 | 1929年9月 | 全連邦共産党(ボリシェヴィキ) | ||
5 | ハリス・ムラトフジン | 1929年9月 | 1932年4月 | 全連邦共産党(ボリシェヴィキ) | ||
6 | ミドガト・ヤグディン | 1932年4月 | 1934年12月22日 | 全連邦共産党(ボリシェヴィキ) | ||
7 | グメル・バイチュリン | 1934年12月 | 1937年9月 | 全連邦共産党(ボリシェヴィキ) | ||
代行 | ガレイ・ディンムハメドフ | 1937年9月 | 1938年7月26日 | 全連邦共産党(ボリシェヴィキ) | ||
タタール自治ソビエト社会主義共和国 最高会議幹部会議長[20] | ||||||
1 | ガレイ・ディンムハメドフ | 1938年7月 | 1951年8月20日 | 全連邦共産党(ボリシェヴィキ) | ||
2 | サリャフ・ニザモフ | 1952年2月15日 | 1959年3月12日 | 全連邦共産党(ボリシェヴィキ) | ||
3 | カミリ・ファセーフ | 1959年3月13日 | 1960年10月29日 | ソビエト連邦共産党 | ||
4 | サリフ・バトゥイエフ | 1960年10月29日 | 1983年6月8日 | ソビエト連邦共産党 | ||
5 | アンヴァル・バガウッディノフ | 1983年6月8日 | 1986年 | ソビエト連邦共産党 | ||
6 | シャミリ・ムスタエフ | 1986年 | 1990年4月 | ソビエト連邦共産党 |
ロシア連邦時代
[編集]代 | 肖像 | 氏名 | 就任日 | 退任日 | 政党 | 備考 |
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タタールASSR / タタールスタン共和国[注 7] 最高会議議長[20] | ||||||
1 | ミンチメル・シャイミーエフ Минтимер Шәрип улы Шәймиев(タタール語) Минтимер Шарипович Шаймиев(ロシア語) |
1990年4月11日 | 1991年7月4日 | |||
2 | ファリド・ムハメトシン Фәрит Хәйрулла улы Мөхәммәтшин Фарид Хайруллович Мухаметшин |
1991年7月5日 | 1995年1月16日 | 無所属 | ||
タタールスタン共和国 大統領 | ||||||
1[20] | ミンチメル・シャイミーエフ Минтимер Шәрип улы Шәймиев Минтимер Шарипович Шаймиев |
1991年7月4日 | 2010年3月25日 | 祖国・全ロシア(1999年〜) 統一ロシア(2001年〜) |
||
2 | ルスタム・ミンニハノフ Рөстәм Нургали улы Миңнеханов Рустам Нургалиевич Минниханов |
2010年3月25日 | 2023年2月6日 | 統一ロシア | 2015年3月24日から9月18日まで代行 | |
タタールスタン共和国 首長(ライス) | ||||||
1 | ルスタム・ミンニハノフ Рөстәм Нургали улы Миңнеханов Рустам Нургалиевич Минниханов |
2023年2月6日 | (現職) | 統一ロシア |
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “Татарстан Республикасы Рәисе Администрациясе турында”. タタールスタン首長府 (2023年1月4日). 2023年2月7日閲覧。
- ^ “Об Администрации Главы (Раиса) Республики Татарстан”. タタールスタン首長府 (2023年1月4日). 2023年2月7日閲覧。
- ^ “ロシアの地方政府がプーチン政権と距離 タタールスタン憲法改正”. テレビ朝日 (2022年12月24日). 2023年2月7日閲覧。
- ^ “Без президента и суверенитета. Из Конституции Татарстана вычеркнули атрибуты самостоятельного государства”. ラジオ・フリー・ヨーロッパ (2023年1月27日). 2023年2月7日閲覧。
- ^ a b c d e “"Кое-кому это название не нравится. А нам нравится". Как в Татарстане сохранили должность президента до декабря 2022 года”. ラジオ・フリー・ヨーロッパ (2022年12月14日). 2023年2月7日閲覧。
- ^ a b “Russia's Tatarstan to Rename Regional Presidency”. ザ・モスクワ・タイムズ (2022年12月23日). 2023年1月30日閲覧。
- ^ “ロシア、「大統領」が22人から1人へ 改正法提出”. スプートニク. (2010年9月3日). オリジナルの2017年5月20日時点におけるアーカイブ。 2017年4月27日閲覧。
- ^ a b “Putin's Power Play? Tatarstan Activists Say Loss Of 'President' Title Would Be An Existential Blow”. ラジオ・フリー・ヨーロッパ (2021年10月19日). 2023年1月30日閲覧。
- ^ “Russia’s Tatarstan may lose president despite MPs rejecting bill”. Daily Sabah (2021年10月27日). 2023年1月30日閲覧。
- ^ “Russia's State Duma adopts a law prohibiting the heads of the regions to be called presidents”. Realnoe Vremya (2021年11月11日). 2023年1月30日閲覧。
- ^ “Путин подписал закон с запретом главам субъектов России называться президентами”. ラジオ・フリー・ヨーロッパ (2021年12月21日). 2023年1月30日閲覧。
- ^ “Должность президента Татарстана переименуют к 2023 году”. Realnoe Vremya (2022年6月1日). 2023年1月30日閲覧。
- ^ “Должность президента Татарстана будет называться "Глава — Раис"”. ラジオ・フリー・ヨーロッパ (2022年12月23日). 2023年1月30日閲覧。
- ^ “Tatarstan Lawmakers Vote To Change Constitution And Scrap Post of President In Nod To Moscow”. ラジオ・フリー・ヨーロッパ (2022年12月23日). 2023年1月30日閲覧。
- ^ “Рустам Минниханов подписал закон о поправках в Конституцию Татарстана”. ラジオ・フリー・ヨーロッパ (2023年1月26日). 2023年1月30日閲覧。
- ^ “Должность Рустама Минниханова теперь официально называется «раис Татарстана»”. FederalPress (2023年2月6日). 2023年2月7日閲覧。
- ^ a b c d e f “Татарский областной - краевой - областной комитет РКП(б) - ВКП(б) - КПСС - Татарский республиканский комитет КПСС”. Справочник по истории Коммунистической партии и Советского Союза 1898 - 1991. knowbysight.info. 2020年4月20日閲覧。
- ^ “Татарский революционный комитет”. Справочник по истории Коммунистической партии и Советского Союза 1898 - 1991. knowbysight.info. 2018年2月26日閲覧。
- ^ a b “Татарская Автономная Советская Социалистическая Республика - Республика Татарстан”. Справочник по истории Коммунистической партии и Советского Союза 1898 - 1991. knowbysight.info. 2018年2月26日閲覧。
- ^ a b c d “Высшие органы государственной власти Татарской АССР - Республики Татарстан”. Справочник по истории Коммунистической партии и Советского Союза 1898 - 1991. knowbysight.info. 2018年2月26日閲覧。