ジョーン・レスリー
ジョーン・レスリー Joan Leslie | |
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ジョーン・レスリー(『Modern Screen』誌1946年) | |
本名 | ジョーン・アグネス・テレサ・セイディ・ブローデル |
別名義 | ジョーン・ブローデル |
生年月日 | 1925年1月26日 |
没年月日 | 2015年10月12日(90歳没) |
出生地 | アメリカ合衆国 デトロイト |
死没地 | アメリカ合衆国 ロサンゼルス |
国籍 | アメリカ合衆国 |
職業 | 女優、ダンサー、ボードビリアン |
活動期間 | 1934 - 1991 |
ジョーン・レスリー(Joan Leslie、1925年1月26日 - 2015年10月12日)は、ハリウッド黄金時代に活躍したアメリカ合衆国の女優、ダンサー、ボードビリアン。代表作は『ハイ・シェラ』『ヨーク軍曹』『ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ』など。
生涯
[編集]1925年1月26日、ミシガン州ハイランド・パークに生まれる。出生名はジョーン・アグネス・テレサ・セイディ・ブローデル(Joan Agnes Theresa Sadie Brodel)[1]。アイルランド系でカトリック[2][3]。父親のジョンは銀行員[4]、母親のアグネスはピアニスト。姉が二人いる。長女はメアリー(1916年 - 2015年)、次女はベティ(1920年生)。姉妹は母親の影響で幼い頃からサクソフォーン、バンジョーといった楽器演奏を習い、人前で歌や踊りを披露する[5]。ジョーンは2歳半からそれに加わる。すぐにアコーディオンが弾けるようになる[2]。
1930年代半ばに世界恐慌で父親が失業。生活のため姉妹はボードビリアンとしてショービジネス界に入り、カナダ、アメリカをツアーして回る。姉妹はザ・スリー・ブローデル(The Three Brodels)と呼ばれた。児童労働法に抵触するので姉妹は年齢をごまかした。9歳だったジェーンも調査員に16歳と嘘をついた[6]。ジェーンは最年少ながらグレタ・ガルボ、キャサリン・ヘプバーン、モーリス・シュヴァリエ、ザス・ピッツ、ジミー・デュランテ、ルイーゼ・ライナーらの物真似で人気を博した[5][7]。
1936年、ニューヨークでの公演中にMGMのスカウトの目に止まる。撮影所と週200ドルで6ヶ月契約を結ぶ[7]。MGMではジュディ・ガーランド、ミッキー・ルーニー、フレディ・バーソロミューら他の子役スターと一緒にリトル・レッド・スクール・ハウスに通った[8][9]。
女優としてのデビューはグレタ・ガルボ、ロバート・テイラー主演の恋愛映画『椿姫』(1936年)[10]。テイラーの妹役だったが喋っているシーンはカットされ、またクレジットもされなかった。その後は役をもらえず、ディアナ・ダービンとともに撮影所から契約解除された[5][11]。ジョーンはニューヨークに戻り、ラジオに出たりモデルをやったりした。しかし姉のメアリーがユニバーサルと契約したので、家族でハリウッドに移る。ジョーンはフリーランスで撮影所(主にRKO[12])で働き出す[7]。
『翼の人々』(1938年)で小さな役を得るが、母親が13歳だったジェーンの年齢をごまかしていたことに監督のウィリアム・A・ウェルマンが気づき、それ以降の撮影はメアリーに交代させた[13]。
最初に名前(ジョーン・ブローデル)がクレジットされたのは『Winter Carnival』(1939年)。南部訛りの女優を探していた監督に抜擢された[6]。
15歳の時、ハリウッド監督たちが選ぶ「Baby Stars of 1940'」13人の1人に選出される[14]。
ブレイクしたのは1941年にワーナー・ブラザースと契約してから[2]。名前がジョーン・ブロンデルと名前が似ていたのでジョーン・レスリーに改名する[15]。
その2週間後[16]、まだ15歳だったジョーンは何の映画かわからずにスクリーンテストを受けさせられる。キュー(合図)と同時に泣くことができたので役を獲得。映画はハンフリー・ボガート、アイダ・ルピノ主演の『ハイ・シェラ』(1941年)で、ジョーンは足の不自由な少女ヴェルマを演じた[17]。映画評論家のボズレー・クラウザーは「新人ジョーン・レスリーは小さい役を立派にこなしている」と評価した[18]。
その年、ワーナー・ブラザースは第1次世界大戦のアメリカ軍兵士アルヴィン・ヨークの伝記映画『ヨーク軍曹』を製作することになり、ゲイリー・クーパーの相手役にジョーンが抜擢された。ヨークの婚約者グレイシー・ウィリアムズ役で、当初ジェーン・ラッセルが検討されたが、ヨーク本人が煙草も酒もやらない女優を希望したのでジョーンに決まった[19]。『ヨーク軍曹』は興行的にはその年の興収トップ、批評的にも大成功した。アカデミー賞では11部門でノミネートされ、クーパーはアカデミー主演男優賞を受賞した [20]。クーパーは24歳も年上で、「クーパーから人形のセットをもらったわ」とジョーンは後に『トロント・スター』紙で語っている。「彼は私をそういうふうに見ていたの」"[21]。
『The Male Animal』(1942年)ではオリヴィア・デ・ハヴィランドの妹役を演じる。ブロードウェイのオリジナル劇ではジーン・ティアニーがこの役を演じている[22]。
1942年、パラマウント映画の『スイング・ホテル』のオーディションを受けるが、ワーナー・ブラザースは彼女を『ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ』のジェームズ・キャグニーの相手役に指名する[23]。ブロードウェイのエンターテイナー、ジョージ・M・コーハン(の生涯を描いたミュージカル映画で[24]、ジョーンはコーハンの妻で野心的な歌手メアリーを演じた[25]。アカデミー賞では主演男優賞のキャグニーを含む8部門にノミネートされた[26]。ジョーンはスターとなり、「甘ったるく見えないイノセントな乙女」と形容された[4]。
1943年には4つの映画に出演した。『虚栄の花』ではアイダ・ルピノ、デニス・モーガンと共演。『ニューヨーク・タイムズ』紙は「役がそうであるように器用で何をやらせてもうまい」と評した[27][28]。『青空に踊る』はRKO作品でフレッド・アステアの相手役。ハロルド・アーレン作曲・ジョニー・マーサー作詞の『My Shining Hour』を歌った[29]。他にロナルド・レーガン共演の『ロナルド・レーガンの陸軍中尉』、『Thank Your Lucky Stars』に出演。
第2次世界大戦中は軍人向けの慰安酒保ハリウッド・キャンティーンで兵士と踊ったり、何百枚もサインするなど、定期的にボランティアをした。ワーナー・ブラザースがそのハリウッド・キャンティーンを舞台に作った『ハリウッド玉手箱』(1944年)に本人役で主演。ただし内容はフィクションでロバート・ハットン演じる兵士と恋に落ちる。この映画には姉のベティ・ブローデルも出演している。
戦後の1946年、『Motion Picture Herald』紙のアンケートで「将来が最も期待されるスター」に選ばれる[30]。
ジョーンは撮影所が与える役に徐々に不満を感じるようになる。若さから求められる純情派のイメージから脱却し、よりシリアスな大人の女性を演じたいと思うようになった。その背景にはキリスト教カトリックの道徳観があったようで[31]、ワーナー・ブラザースとの契約解除を求めて裁判を起こした[32]。ワーナー・ブラザースのジャック・L・ワーナーは報復としてジョーン・レスリーをブラックリストに載せハリウッドのメジャー・スタジオから閉め出した[33]。1947年、ジョーンはポヴァティ・ロウ系の小スタジオだったイーグル・ライオン・フィルムズと契約。フィルム・ノワール『Repeat Performance』(1947年)[34]や西部劇『荒原の征服者』(1948年)[35]といったB級映画に出演した。
イーグル・ライオン・フィルムズとの契約終了後、『The Skipper Surprised His Wife』(1950年、MGM)で久々にメジャー復帰を果たす[36]。
1950年3月、産科医のウィリアム・コールドウェルと結婚[7]。翌年1月に双子の娘パトリースとエレンを出産[37]。
1950年代は娘の子育てに重きをおき、映画出演は不規則になる。1952年、低予算の西部劇映画を製作していたリパブリック・ピクチャーズと短期間契約[33]。アメリカ空軍で活躍した実在の看護婦リリアン・キンケラ・ケイルの伝記映画『女の戦場』に主演する[38]。最後の映画出演は『The Revolt of Mamie Stover』(1956年)。しかし、テレビには子育ての合間をみて散発的に出演を続ける[7]。『Fire in the Dark』(1991年)を最後に引退[5][39]。
2015年10月12日、ロサンゼルスで死去。90歳だった[40]。 ホーリー・クロス墓地に埋葬された。
レガシー
[編集]- 1960年10月8日、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの星に名前を刻まれる[41]。
- 1999年、アメリカン・フィルム・インスティチュートの「1950年までにデビューした銀幕の女性レジェンド25人」にノミネートされる[42]。
- 2006年8月12日、映画・テレビの西部劇への貢献からゴールデンブーツ賞を授与される[43]。
フィルモグラフィ
[編集]映画
[編集]- Signing Off (1936) ※短編、ブローデル。シスターズとして
- 椿姫 Camille (1936) ※クレジットなし
- 翼の人々 Men with Wings (1938) ※クレジットなし
- Nancy Drew... Reporter (1939) ※クレジットなし
- 邂逅 Love Affair (1939) ※クレジットなし
- Winter Carnival (1939)
- Two Thoroughbreds (1939)
- ラディー Laddie (1940)
- High School (1940) ※クレジットなし
- Young as You Feel (1940)
- Alice in Movieland (1940) ※短編
- Star Dust (1940) ※クレジットなし
- Susan and God (1940) ※クレジットなし
- Military Academy (1940)
- 海外特派員 Foreign Correspondent (1940) ※クレジットなし
- ハイ・シェラ High Sierra (1941)
- The Great Mr. Nobody (1941)
- The Wagons Roll at Night (1941)
- Thieves Fall Out (1941)
- ヨーク軍曹 Sergeant York (1941)
- Nine Lives Are Not Enough (1941) ※クレジットなし
- The Male Animal (1942)
- ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ Yankee Doodle Dandy (1942)
- 虚栄の花 The Hard Way (1943)
- 青空に踊る The Sky's the Limit (1943)
- ロナルド・レーガンの陸軍中尉 This Is the Army(1943)
- Thank Your Lucky Stars (1943 )
- ハリウッド玉手箱 Hollywood Canteen (1944)
- I Am an American (1944) ※短編、クレジットなし
- Where Do We Go from Here? (1945)
- アメリカ交響楽 Rhapsody in Blue (1945)
- Too Young to Know (145)
- 婿探し千万弗 Cinderella Jones (1946)
- Janie Gets Married (1946)
- 王子と運ちゃん Two Guys from Milwaukee (1946)
- Repeat Performance (1947)
- 荒原の征服者 Northwest Stampede (1948)
- The Skipper Surprised His Wife (1950)
- 濁流(生まれながらの悪女) Born to Be Bad (1950)
- 馬上の男 Man in the Saddle (1951)
- 虐殺の砂漠 Hellgate (1952)
- アリゾナの勇者 Toughest Man in Arizona (1952)
- 私刑される女 Woman They Almost Lynched (1953)
- 女の戦場 Flight Nurse (1953)
- テキサス街道 Jubilee Trail (1954)
- Hell's Outpost (1954)
- The Revolt of Mamie Stover (1956)
テレビ
[編集]- ジェーン・ワイマンの炉端劇場 Fireside Theater (1951)
- ジェネラル・エレクトリック・シアター General Electric Theater (1958)
- ポリス・ストーリー Police Story (1975)
- チャーリーズ・エンジェル Charlie's Angels (1978)
- 超人ハルク The Incredible Hulk (1979)
- ジェシカおばさんの事件簿 Murder, She Wrote (1986)
出典
[編集]- ^ “Gala Musical Due at Eckel”. Syracuse NY Journal, 1943. 2020年4月12日閲覧。
- ^ a b c “Joan Leslie, an update”. Toledo Blade. p. 28 (June 26, 1986). 2020年4月12日閲覧。
- ^ “Joan Leslie's Ego Isn't Inflated by Film Fame”. Tampa Bay Times. p. 37 (January 6, 1946). 2020年4月12日閲覧。
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