ジョージ・オズボーン (第10代リーズ公爵)
第10代リーズ公爵ジョージ・ゴドルフィン・オズボーン(英語: George Godolphin Osborne, 10th Duke of Leeds、1862年9月18日 – 1927年5月10日)は、イギリスの政治家、イングランド貴族。1872年までダンビー伯爵の儀礼称号を、1872年から1895年までカーマーゼン侯爵の儀礼称号を使用した[1]。1887年から1895年まで保守党員として庶民院議員を、1895年から1896年まで王室会計長官を務めた[1]。
生涯
[編集]第9代リーズ公爵ジョージ・ゴドルフィン・オズボーンと妻フランシス・ジョージアナ(Frances Georgiana、旧姓ピット=リヴァーズ(Pitt-Rivers)、1836年12月26日 – 1896年10月26日、第4代リヴァーズ男爵ジョージ・ピット=リヴァーズの娘)の次男(長男ジョージ・フレデリックは1861年11月に生後3日目で夭折)として、1862年9月18日にパーク・レーンのハートフォード・ストリート(Hertford Street)で生まれた[1]。1876年から1880年までイートン・カレッジで教育を受けた後[1]、1882年1月31日にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学した[2]。
1887年7月19日、ブリクストン選挙区の補欠選挙で保守党候補として出馬、3,307票対2,569票で自由党候補ジェームズ・ヒル(James Hill)を下して当選した[3]。同年から1888年まで植民地大臣の第2代準男爵サー・ヘンリー・ホランドの秘書官補(Assistant Secretary)を務めた[1]。1892年イギリス総選挙では4,061票対3,204票で自由党候補リチャード・スタップリーを下し、1895年イギリス総選挙では4,199票対2,199票で第3代準男爵サー・ロバート・ガーネット・ヘッドを下して再選した[3]。直後に第三次ソールズベリー侯爵内閣が成立すると、1895年から1896年まで王室会計長官を務めた[1]。1895年12月23日に父が死去すると、リーズ公爵位を継承した[1]。
1898年から1927年までロンドン・カウンティ・カウンシル議員を務めた[2]。第一次世界大戦では1914年から1919年まで志願兵としてイギリス海軍志願予備員の中佐になった[2]。その後、1921年から1922年まで国王ジョージ5世のエー=ド=カン(副官)の1人だった[2]。
1927年5月10日に肺炎によりベルグレイヴィアのグローヴナー・クレセント11号で死去、14日にホーンビーで埋葬された[1]。息子ジョン・フランシス・ゴドルフィンが爵位を継承した[1]。ギャンブルにより多額の負債を残したため、所領のホーンビー城は死後の1930年に解体・売却された[4]。
家族
[編集]1884年2月13日、キャサリン・フランシス・ラムトン(Katherine Frances Lambton、1862年9月5日 – 1952年12月6日、第2代ダラム伯爵ジョージ・ラムトンの娘)と結婚、1男4女をもうけた[5]。
- グウェンドリン・ファニー・ゴドルフィン(Gwendolen Fanny Godolphin、1885年3月2日 – 1933年2月25日) - 1923年7月17日、アルジャーノン・ガスコイン=セシル(Algernon Gascoyne-Cecil、1953年4月13日没、ユースタス・ガスコイン=セシル卿の息子)と結婚
- オルガ・キャサリン・ゴドルフィン(Olga Katherine Godolphin、1886年10月3日 – 1929年8月9日)
- ドロシー・ビアトリクス(Dorothy Beatrix、1888年12月3日 – 1946年6月18日) - 1908年11月21日、第15代ストラスモア=キングホーン伯爵パトリック・ボーズ=ライアンと結婚、子供あり
- モイラ・ゴドルフィン(Moira Godolphin、1892年5月20日 – 1976年5月20日) - 1920年1月30日、初代シャンドス子爵オリヴァー・リトルトンと結婚、子供あり
- ジョン・フランシス・ゴドルフィン(1901年3月12日 – 1963年7月26日) - 第11代リーズ公爵
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1929). The Complete Peerage, or a history of the House of lords and all its members from the earliest times, volume VII: Husee to Lincolnshire. Vol. 7 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 518–519.
- ^ a b c d "Osborne, George Godolphin, Marquess of Carmarthen. (OSBN882GG)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
- ^ a b Craig, F. W. S. (1974). British parliamentary election results 1885–1918 (英語) (1st ed.). London: The Macmillan Press. p. 29. ISBN 978-1-349-02298-4。
- ^ Historic England (27 November 2014). "Hornby Castle Park (Grade II) (1420079)". National Heritage List for England (英語). 2021年1月12日閲覧。
- ^ "Leeds, Duke of (E, 1694 - 1964)". Cracroft's Peerage (英語). 1 August 2007. 2021年1月12日閲覧。
外部リンク
[編集]- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by the 10th Duke of Leeds
- ジョージ・オズボーン - ナショナル・ポートレート・ギャラリー
- "ジョージ・オズボーンの関連資料一覧" (英語). イギリス国立公文書館.
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