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オリヴァー・リトルトン (初代シャンドス子爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1941年7月8日のオリヴァー・リトルトン

初代シャンドス子爵オリヴァー・リトルトン: Oliver Lyttelton, 1st Viscount Chandos, KG, DSO, MC, PC1893年3月15日 - 1972年1月21日)は、イギリスの政治家、貴族。

経歴

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1893年3月15日、第4代リトルトン男爵英語版ジョージ・リトルトン英語版の八男アルフレッド・リトルトン英語版とその妻エディス・ソフィア(旧姓バルフォア)の間の息子として生まれた[1][2]

イートン校を経てケンブリッジ大学トリニティ・カレッジへ進学[2]グレナディアガーズの大尉として第一次世界大戦に従軍した[1][2]

1940年からシャンドス子爵に叙されて貴族院議員に転じる1954年までアルダーショット選挙区英語版から選出されて保守党庶民院議員を務めた[1][2]。1940年には枢密顧問官に列するとともに第1次チャーチル内閣通商庁長官に就任した[3]1941年7月から1942年2月には中東担当大臣(Minister of State in the Middle East)に転じ[4]、1942年から1945年にかけては生産大臣英語版[1][2]、1945年5月から7月にかけては通商庁長官に復帰した[3]

1951年10月に第3次チャーチル内閣英語版が成立すると植民地大臣に就任し、1954年7月まで務めた[5]

1954年9月9日連合王国貴族シャンドス子爵に叙せられ[1][2]、貴族院議員に列した[6]

1972年1月21日に死去した。78歳没。シャンドス子爵位は息子のアンソニー・アルフレッド・リトルトン英語版が継承した[1][2]

栄典

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爵位

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1954年9月9日に以下の爵位を新規に叙された[1][2]

勲章

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家族

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1920年1月30日に第10代リーズ公爵ジョージ・オズボーン(1893-1972)の娘モイラ・ゴドルフィン・オズボーン(Moira Godolphin Osborne, 1892-1976)と結婚。彼女との間に以下の4子を儲けた[1][2]

脚注

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出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k Heraldic Media Limited. “Chandos, Viscount (UK, 1954)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2018年1月11日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l Lundy, Darryl. “Oliver Lyttelton, 1st Viscount Chandos” (英語). thepeerage.com. 2018年1月11日閲覧。
  3. ^ a b 秦郁彦編 2001, p. 513.
  4. ^ 秦郁彦編 2001, p. 514.
  5. ^ 秦郁彦編 2001, p. 517.
  6. ^ UK Parliament. “Mr Oliver Lyttelton” (英語). HANSARD 1803–2005. 2018年1月11日閲覧。

参考文献

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  • 秦郁彦 編『世界諸国の組織・制度・人事 1840―2000』東京大学出版会、2001年。ISBN 978-4130301220 

外部リンク

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グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国議会
先代
ウォルマー子爵英語版
アルダーショット選挙区英語版選出庶民院議員
1940年–1954年
次代
エリック・エリントン英語版
公職
先代
アンドリュー・レイ・ダンカン英語版
通商庁長官
1940年–1941年
次代
アンドリュー・レイ・ダンカン英語版
新設 中東担当大臣
1941年–1942年
次代
リチャード・ケイシー英語版
先代
初代ビーヴァーブルック男爵
(戦時生産大臣)
生産大臣英語版
1942年–1945年
廃止
先代
ヒュー・ダルトン英語版
通商庁長官
1945年
次代
サー・スタッフォード・クリップス
先代
ジェイムズ・グリフィス英語版
植民地大臣
1951年–1954年
次代
アラン・レノックス=ボイド英語版
イギリスの爵位
爵位創設 初代シャンドス子爵
1954年–1972年
次代
アンソニー・リトルトン英語版