ジョージ・エヴァンス (初代カーベリー男爵)
初代カーベリー男爵ジョージ・エヴァンス(英語: George Evans, 1st Baron Carbery PC (Ire)、1680年頃 – 1749年8月28日)は、イギリスの政治家、アイルランド貴族。
生涯
[編集]ジョージ・エヴァンス(George Evans、1720年5月没、アイルランド庶民院議員)とメアリー・エア(Mary Eyre、ジョン・エアの娘)の息子として、1680年頃に生まれた[1]。
1707年から1714年までリムリック・カウンティ選挙区の代表としてアイルランド庶民院議員を務め[2]、1714年11月12日[1]から1727年[3]までと1740年5月19日[1]から1749年5月9日[3]までリムリック城総督(Governor of Limerick Castle)を務めた。
1715年5月9日、アイルランド貴族であるコーク県におけるカーベリーのカーベリー男爵に叙された[1]。カーベリー男爵の爵位には特別残余権(special remainder)として初代男爵の父の男系子孫にも継承権が付されていた[1]。また、叙爵時点では初代男爵の父が存命であったが、彼は叙爵を辞退したという[1]。その後、初代カーベリー男爵は1715年11月14日にアイルランド貴族院議員に就任、18日にアイルランド枢密院の枢密顧問官に任命された[1]。
1703年の結婚でノーサンプトンシャーのラクストンの領地を取得すると、1715年イギリス総選挙でホイッグ党の一員としてウェストベリー選挙区から出馬した[3]。選挙戦はカーベリー男爵を含むホイッグ党員2名とトーリー党員2名が争う様相であり、3月28日にトーリー党員2名の当選が宣告されたが、選挙申し立ての結果カーベリー男爵とチャールズ・アランソン(Charles Allanson、ホイッグ党員)の当選が6月1日に宣告された[4]。その後、1716年の七年議会法案に賛成票を投じ、1719年の貴族法案(Peerage Bill)にも賛成票を投じたが、便宜的国教徒禁止法の廃止法案の採決には欠席した[3]。
1722年イギリス総選挙では再びホイッグ党員2名とトーリー党員2名が争う様相で、またしてもトーリー党員2名の当選が宣告され、選挙申し立てが提出されたが、今度は却下された[3]。しかし、当選したトーリー党員の1名であるジェームズ・バーティーがミドルセックス選挙区でも当選し、両選挙区の間でミドルセックスを選択したため、1724年3月に補欠選挙が行われ、カーベリー男爵が当選を果たした[4]。その後、1727年イギリス総選挙には立候補しなかった[3]。
1749年8月28日にリムリック県で死去、息子ジョージが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1703年5月4日[3]、アン・スタッフォード(Anne Stafford、1757年12月30日没、ウィリアム・スタッフォードの娘)と結婚[1]、4男1女をもうけた[5]。
- スタッフォード(1704年 – ?) - 早世
- ジョージ(1759年没) - 第2代カーベリー男爵。子供あり
- ウィリアム(1756年以前没)
- ジョン(1758年没) - 1741年6月、グレース・フリーク(Grace Freke、初代準男爵サー・ラルフ・フリークの娘)と結婚、子供あり。息子に初代準男爵サー・ジョージ・エヴァンス=フリークがおり、第6代以降のカーベリー男爵の先祖にあたる[6]
- アン - 1734年、シャルル・デュ・テルム(Charles du Terme)と結婚
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 9.
- ^ "Biographies of Members of the Irish Parliament 1692-1800". Ulster Historical Foundation (英語). 2019年11月2日閲覧。
- ^ a b c d e f g Lea, R. S. (1970). "EVANS, George, 1st Baron Carbery [I] (c.1680-1749), of Caharas, co. Limerick, and Laxton, Northants.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年11月2日閲覧。
- ^ a b Lea, R. S. (1970). "Westbury". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年11月2日閲覧。
- ^ The Irish Compendium (英語) (5th ed.). London: J. Knapton. 1756. p. 501.
- ^ "Carbery, Baron (I, 1715)". Cracroft's Peerage (英語). 27 August 2013. 2019年11月2日閲覧。
アイルランド議会 | ||
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先代 サー・トマス・サウスウェル準男爵 チャールズ・オリヴァー |
庶民院議員(リムリック・カウンティ選挙区選出) 1707年 – 1714年 同職:サー・トマス・サウスウェル準男爵 1707年 – 1713年 ジョージ・キング 1713年 – 1714年 |
次代 サー・トマス・サウスウェル準男爵 ロバート・オリヴァー |
グレートブリテン議会 | ||
先代 フランシス・アンズリー ウィラビー・バーティー |
庶民院議員(ウェストベリー選挙区選出) 1715年 – 1722年 同職:チャールズ・アランソン |
次代 ジェームズ・バーティー フランシス・アンズリー |
先代 ジェームズ・バーティー フランシス・アンズリー |
庶民院議員(ウェストベリー選挙区選出) 1724年 – 1727年 同職:フランシス・アンズリー |
次代 フランシス・アンズリー ジョン・ホスキンス・ジフォード |
アイルランドの爵位 | ||
爵位創設 | カーベリー男爵 1715年 – 1749年 |
次代 ジョージ・エヴァンス |