ジョン・モンソン (初代モンソン男爵)
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閣下 モンソン男爵 PC KB | |
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商務委員会第一卿 | |
任期 1737年 – 1748年 | |
君主 | ジョージ2世 |
首相 | ロバート・ウォルポール ウィルミントン伯爵 ヘンリー・ペラム |
前任者 | フィッツウォルター伯爵 |
後任者 | ハリファックス伯爵 |
個人情報 | |
生誕 | 1693年 |
死没 | 1748年7月20日 グレートブリテン王国、ロンドン、アルベマール・ストリート |
国籍 | イギリス人 |
配偶者 | マーガレット・ワトソン |
子供 | ジョン ルイス ジョージ |
親 | ジョージ・モンソン アン・レン |
出身校 | オックスフォード大学クライスト・チャーチ |
初代モンソン男爵ジョン・モンソン(英語: John Monson, 1st Baron Monson PC KB 1693年 – 1748年7月20日)は、グレートブリテン王国の政治家。1727年から1728年まで第5代準男爵サー・ジョン・モンソンの称号を使用した。
生涯
[編集]ジョージ・モンソンとアン・レン(Anne Wren、チャールズ・レンの娘)の息子として、1693年に生まれた[1]。1708年1月26日、オックスフォード大学クライスト・チャーチに入学した[1][2]。1722年イギリス総選挙でリンカーン選挙区から出馬して庶民院議員に当選、1727年イギリス総選挙でも再選された[1]。
1725年6月17日にバス勲章を授与され、1727年3月に伯父ウィリアム・モンソンの死に伴い準男爵位を継承した[1]。1728年5月28日、バートンのモンソン男爵に叙された[1]。1733年から1734年まで恩給紳士隊長を務めた[2]。1737年6月に商務委員会第一卿に任命され[1]、同年7月21日には枢密顧問官に任命された[2]。モンソン男爵が商務委員会第一卿を務めた時期、商務委員会の活動は不活発だったという[2]。
1748年7月20日に死去、当時の首相ニューカッスル公爵は南部担当国務大臣ベッドフォード公爵への手紙(1748年8月12日付)で「貴重な男で愛想のいい友人を失った」と弔慰の言葉を述べ、ベッドフォード公爵の返信でも悔やみを言った[1]。
家族
[編集]1725年4月8日、初代ロッキンガム伯爵ルイス・ワトソンの娘マーガレットと結婚、3男をもうけた[1]。
- ジョン(1727年 – 1774年) - 第2代モンソン男爵
- ルイス(1728年 – 1795年) - 初代ソンデス男爵
- ジョージ(1777年没) - 初代ダーリントン伯爵ヘンリー・ヴェーンの娘アンと結婚、子供なし[3]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h Norgate, Gerald le Grys (1894). Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 38. London: Smith, Elder & Co. pp. 196–197. . In
- ^ a b c d Watson, Paula (1970). "MONSON, John (?1692-1748), of Burton, Lincs". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年5月8日閲覧。
- ^ Burke's Peerage (英語) (99th ed.). 1949. p. 1411.
グレートブリテン議会 | ||
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先代 サー・ジョン・タイアウィット準男爵 リチャード・グランサム |
庶民院議員(リンカーン選挙区選出) 1722年 – 1728年 同職:サー・ジョン・タイアウィット準男爵 1722年 – 1727年 リチャード・グランサム 1727年 – 1728年 |
次代 チャールズ・ホール サー・ジョン・タイアウィット準男爵 |
公職 | ||
先代 フィッツウォルター伯爵 |
商務委員会第一卿 1737年 – 1748年 |
次代 ハリファックス伯爵 |
グレートブリテンの爵位 | ||
爵位創設 | モンソン男爵 1728年 – 1748年 |
次代 ジョン・モンソン |
イングランドの準男爵 | ||
先代 ウィリアム・モンソン |
(カールトンの)準男爵 1727年 – 1749年 |
次代 ジョン・モンソン |