ジョン・マクリントック (初代ラスドネル男爵)
初代ラスドネル男爵ジョン・マクリントック(英語: John McClintock, 1st Baron Rathdonnell、1798年8月26日 – 1879年5月17日)は、イギリスの政治家、アイルランド貴族。1857年から1859年まで庶民院議員を、1867年から1879年までラウス統監を務めた。
生涯
[編集]ジョン・マクリントック(1855年7月5日没)と1人目の妻ジェーン(Jane、旧姓バンベリー(Bunbury)、ウィリアム・バンベリーの娘)の息子として、1798年8月26日にダブリンで生まれた[1]。陸軍士官として3年間北米で過ごした[1]。
1840年にラウス県長官を務め、1857年から1859年までカウンティ・ラウス選挙区の代表として庶民院議員を務めた[1]。議会では保守党に所属した[1]。
その後、1867年1月14日から1879年に死去するまでラウス統監を務め[2]、1867年から1879年までラウス県民兵隊隊長を務めた[1]。1868年12月21日、アイルランド貴族であるドニゴール県におけるラスドネルのラスドネル男爵に叙された[1][3]。この爵位には初代男爵の弟ウィリアム・バンベリー・マクリントック=バンベリー(1800年 – 1866年6月2日[4])の男系子孫への特別残余権(special remainder)が定められた[1]。
1879年5月17日にラウス県ドラムカーで急死、特別残余権に基づき弟の息子トマス・ケイン・マクリントック=バンベリーが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1829年8月11日、アン・レフロイ(Anne Lefroy、1808年7月19日 – 1889年12月22日、ジョン・ヘンリー・ジョージ・レフロイの娘)と結婚したが、2人の間に子供はいなかった[1]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1945). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Oakham to Richmond) (英語). Vol. 10 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. p. 741.
- ^ Sainty, John Christopher (September 2005). "Lieutenants and Lords-Lieutenants (Ireland) 1831-". Institute of Historical Research (英語). 2018年7月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年1月4日閲覧。
- ^ "No. 7918". The Edinburgh Gazette (英語). 8 January 1869. p. 37.
- ^ "Rathdonnel, Baron (I, 1868)". Cracroft's Peerage (英語). 12 February 2012. 2021年1月4日閲覧。
外部リンク
[編集]- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by John McClintock
- "ジョン・マクリントックの関連資料一覧" (英語). イギリス国立公文書館.
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会 | ||
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先代 チチェスター・フォーテスキュー トリストラム・ケネディ |
庶民院議員(カウンティ・ラウス選挙区選出) 1857年 – 1859年 同職:チチェスター・フォーテスキュー |
次代 チチェスター・フォーテスキュー リチャード・モンテスキュー・ベリュー |
名誉職 | ||
先代 ベリュー男爵 |
ラウス統監 1867年 – 1879年 |
次代 マッセリーン子爵 |
アイルランドの爵位 | ||
爵位創設 | ラスドネル男爵 1868年 – 1879年 |
次代 トマス・ケイン・マクリントック=バンベリー |