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ジョン・マクスウェル (第2代ファーナム伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第2代ファーナム伯爵ジョン・ジェームズ・マクスウェル英語: John James Maxwell, 2nd Earl of Farnham1759年2月5日1823年7月23日)は、アイルランド王国出身の政治家、貴族。トーリー党に所属し、アイルランド庶民院議員、アイルランド貴族代表議員を歴任した。1785年から1800年までマクスウェル卿儀礼称号を使用した[1]

生涯

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初代ファーナム伯爵バリー・マクスウェルと1人目の妻マーガレット・キング(Margaret King、1766年12月4日没、トマス・キングの娘)の息子として、1759年2月5日に生まれた[1]

1780年から1783年までと1793年から1800年までの2度にわたってキャバン・カウンティ選挙区英語版の代表としてアイルランド庶民院議員を務め[2]、1800年10月7日に父が死去するとファーナム伯爵位を継承した[1]。1816年から1823年までアイルランド貴族代表議員を務め、議会ではトーリー党に属した[1]

1823年7月23日にロンドンのパルトニー・ホテル(Pulteney Hotel)で死去、8月2日にキャバンで埋葬された[1]。ファーナム伯爵位は後継者がおらず廃絶、ファーナム男爵位は叔父ヘンリー・マクスウェル英語版の息子ジョン・マクスウェル・バリー英語版が継承した[1]

家族

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1784年、グレース・カフ(Grace Cuffe、1766年ごろ – 1856年2月10日、トマス・カフの娘)と結婚したが、2人の間に子供はいなかった[3]

出典

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  1. ^ a b c d e f Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1926). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Eardley of Spalding to Goojerat) (英語). Vol. 5 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 259–260.
  2. ^ "Biographies of Members of the Irish Parliament 1692-1800". Ulster Historical Foundation (英語). 2020年12月16日閲覧
  3. ^ "Farnham, Earl of (I, 1785 - 1823)". Cracroft's Peerage (英語). 2020年12月16日閲覧

外部リンク

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アイルランド議会
先代
バリー・マクスウェル閣下
ジョージ・レズリー・モンゴメリー英語版
庶民院議員(キャバン・カウンティ選挙区英語版選出)
1780年 – 1783年
同職:ジョージ・レズリー・モンゴメリー英語版
次代
チャールズ・ステュアート
ジョージ・レズリー・モンゴメリー英語版
先代
チャールズ・ステュアート
フランシス・サンダーソン
庶民院議員(キャバン・カウンティ選挙区英語版選出)
1793年 – 1800年
同職:フランシス・サンダーソン
次代
ナサニエル・スニード英語版
フランシス・サンダーソン
アイルランドの爵位
先代
バリー・マクスウェル
ファーナム伯爵
1800年 – 1823年
廃絶
ファーナム男爵
1800年 – 1823年
次代
ジョン・マクスウェル・バリー英語版