ジョン・ハミルトン=ゴードン (初代アバディーン=テメイア侯爵)
初代アバディーン=テメイア侯爵 ジョン・ハミルトン=ゴードン John Hamilton-Gordon 1st Marquess of Aberdeen and Temair | |
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初代アバディーン=テメイア侯のポートレート | |
生年月日 | 1847年8月3日 |
没年月日 | 1934年3月7日(86歳没) |
出身校 | オックスフォード大学ユニバーシティ・カレッジ |
称号 | 初代アバディーン=テメイアー侯爵、第7代アバディーン伯爵、シッスル勲章勲爵士(KT)、聖マイケル・聖ジョージ勲章ナイト・グランド・クロス(GCMG)、ロイヤル・ヴィクトリア勲章ナイト・グランド・クロス(GCVO)、枢密顧問官(PC) |
親族 | 第4代アバディーン伯爵(祖父) |
在任期間 | 1893年9月18日 - 1898年11月12日[1] |
女王 | ヴィクトリア |
貴族院議員 | |
在任期間 | 1870年1月27日 - 1934年3月7日[2] |
初代アバディーン=テメイア侯爵、ジョン・ハミルトン=ゴードン(英: John Hamilton-Gordon, 1st Marquess of Aberdeen and Temair, KT, GCMG, GCVO, PC、1847年8月3日 – 1934年3月7日)は、イギリスの政治家、貴族。
経歴
[編集]1847年8月3日、第5代アバディーン伯爵ジョージ・ハミルトン=ゴードンの三男として生まれる。兄に第6代アバディーン伯爵ジョージ・ハミルトン=ゴードンがいる[3]。
1870年1月27日に兄から第7代アバディーン伯爵以下5つの爵位を継承し[4]、貴族院議員に列する。
オックスフォード大学ユニバーシティ・カレッジへ進学。1871年にバチェラー・オブ・アーツ(BA)、1875年にマスター・オブ・アーツ(MA)の学位を取得[4]。
1880年にアバディーンシャー統監に就任[4]。1881年から1885年にかけてスコットランド教会総会への勅使を務めた[4]。1886年2月から8月にかけてはアイルランド総督を務めた[4]。
1893年9月からカナダ総督に就任[1][5]。カナダ全国を広く旅行し、先住民ともよく会見した[5]。総督官邸リドー・ホールでの演劇公演をしばしば観劇した[5]。1893年にはリドー・ホールにチャペルを建設した(1912年に撤去)[5]。ヴィクトリア女王のダイヤモンドジュビリーの際にはカナダで様々な催し物を実施した[5]。カナダ海軍の艦隊の視察もよく行った[5]。海外自治領との貿易・連携の強化にも尽力した[5]。1898年11月に第4代ミントー伯爵ギルバート・エリオット=マーレイ=キニンマウンドに後を託して退任した[1]。
1905年から1915年にかけてアイルランド総督に再任した[5]。
1916年1月4日に「カウンティ・オブ・アバディーン、カウンティ・オブ・メース、カウンティ・オブ・アーガイルにおけるアバディーン=テメイア侯爵(Marquess of Aberdeen and Temair, in the County of Aberdeen, in the County of Meath and in the County of Argyll)」と「カウンティ・オブ・アバディーンのハッドー伯爵(Earl of Haddo, in the County of Aberdeen)」に叙せられた[4]。
栄典
[編集]爵位・準男爵位
[編集]- 1870年1月27日、第7代アバディーン伯爵(1682年創設スコットランド貴族)
- 1870年1月27日、第7代フォーマーティン子爵(1682年創設スコットランド貴族)
- 1870年1月27日、第4代アバディーンのゴードン子爵(1814年創設連合王国貴族爵位)
- 1870年1月27日、第7代ハッド卿(1682年創設スコットランド貴族爵位)
- 1870年1月27日、第9代ゴードン準男爵(1642年創設スコットランド準男爵位)
- 1916年1月4日、初代アバディーン=テメイア侯爵(連合王国貴族)
- 1916年1月4日、初代ハッドー伯爵(連合王国貴族)
勲章
[編集]- 1895年、聖マイケル・聖ジョージ勲章ナイト・グランド・クロス(GCMG)
- 1906年、シッスル勲章勲爵士(KT)
- 1911年、ロイヤル・ヴィクトリア勲章ナイト・グランド・クロス(GCVO)
家族
[編集]初代トウィードマス男爵ダドリー・マージョリーバンクスの娘イザベルと結婚し、彼女との間に以下の5子を儲ける。
- 第1子(長男)第2代アバディーン=テメイア侯爵ジョージ・ゴードン(1879-1965)
- 第2子(長女)マージョリー・アデリン・ゴードン嬢(1880-1970):初代ペントランド男爵ジョン・シンクレアーと結婚
- 第3子(次女)ドロシー・メアリー・ゴードン嬢(1882):夭折
- 第4子(次男)第3代アバディーン=テメイア侯爵ダドリー・ゴードン(1883-1972)
- 第5子(三男)アーチボルド・イアン・ゴードン卿(1884-1909)
注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c 秦(2001) p.567
- ^ UK Parliament. “Mr John Hamilton-Gordon” (英語). HANSARD 1803–2005. 2015年4月23日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “George John James Hamilton-Gordon, 5th Earl of Aberdeen” (英語). thepeerage.com. 2015年4月23日閲覧。
- ^ a b c d e f g Lundy, Darryl. “John Campbell Hamilton-Gordon, 1st Marquess of Aberdeen and Temair” (英語). thepeerage.com. 2015年4月23日閲覧。
- ^ a b c d e f g h カナダ総督府. “The Governor General > Former Governors General > British > The Earl of Aberdeen 1893-1898” (英語). 2015年3月13日閲覧。
参考文献
[編集]- 秦郁彦編 編『世界諸国の組織・制度・人事 1840―2000』東京大学出版会、2001年。ISBN 978-4130301220。
外部リンク
[編集]- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by John Hamilton-Gordon, 1st Marquess of Aberdeen and Temair
官職 | ||
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先代 第4代カーナーヴォン伯爵 |
アイルランド総督 1886年 |
次代 第6代ロンドンデリー侯爵 |
先代 初代プレストンのスタンリー男爵 |
カナダ総督 1893年–1898年 |
次代 第4代ミントー伯爵 |
先代 第2代ダブリー伯爵 |
アイルランド総督 1905年–1915年 |
次代 第2代ウィンボーン男爵 |
名誉職 | ||
先代 第8代キントーア伯爵 |
アバディーンシャー統監 1880年–1934年 |
次代 第2代アバディーン=テメイア侯爵 |
学職 | ||
先代 第5代ローズベリー伯爵 |
セント・アンドリューズ大学学長 1913年–1916年 |
次代 サー・ダグラス・ヘイグ |
イギリスの爵位 | ||
爵位創設 | 初代アバディーン=テメイア侯爵 1916年–1934年 |
次代 ジョージ・ゴードン |
スコットランドの爵位 | ||
先代 ジョージ・ハミルトン=ゴードン |
第7代アバディーン伯爵 1870年–1934年 |
次代 ジョージ・ゴードン |