ジョン・カーター・ヴィンセント
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ジョン・カーター・ヴィンセント(John Carter Vincent, 1900年8月19日 - 1972年12月3日)は、アメリカ合衆国の外交官。
生涯
[編集]カンザス州セネカにて誕生。1923年にマーサー大学を卒業。1923年に国務省外交局に入省。長沙、漢口、汕頭、北京、奉天、南京、大連での勤務を経て、1942年に重慶大使館で参事官に就任。1944年1月から1945年9月まで国務省極東局中国部長[1]。戦時中は、蔣介石への無条件支持に反対し、中国共産党との協力を主張した[2]。1945年9月から1947年7月まで国務省極東局長[1][3]。1947年から1951年まで駐スイス公使[4]。1951年から1953年まで駐モロッコ特使および総領事[4]。
1972年12月3日、マサチューセッツ州ケンブリッジの病院にて死去。
出典
[編集]- ^ a b United States. Dept. of State (1950). Register of the Department of State. April 1, 1950. Office of Public Affairs, U. S. Department of State. p. 519
- ^ 訃報欄『朝日新聞』昭和47年12月6日.23面
- ^ “The U.S. Cuts Its Losses”. Bevin Alexander. 2011年7月1日閲覧。
- ^ a b “John Carter Vincent(1900-1972)”. Office of the Historian, Bureau of Public Affairs, United States Department of State. 2011年7月1日閲覧。
関連項目
[編集]公職 | ||
---|---|---|
先代 ジョセフ・ウィリアム・バランタイン |
アメリカ合衆国国務省極東局長 1945年9月19日 - 1947年7月23日 |
次代 ウィリアム・ウォルトン・バターワース |
外交職 | ||
先代 リーランド・ハリソン |
在スイスアメリカ合衆国大使 1947年10月21日 - 1951年6月9日 |
次代 リチャード・カニンガム・パターソン |