ジョセフ・ウィリアム・バランタイン
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ジョセフ・ウィリアム・バランタイン(Joseph William Ballantine, 1888年 - 1973年)は、アメリカ合衆国の外交官。
生涯
[編集]1888年、英領インドのアフマドナガルにて誕生[1]。1909年、国務省外交部に入省[1]。1911年から1912年まで神戸副領事[2]。1912年に横浜副総領事[2]。1912年から1914年まで台北副領事[2]。1914年に横浜副総領事[2]。
1921年から1923年まで大連領事[2]。1923年から1929年まで東京領事[2]。1930年にロンドン海軍軍縮会議アメリカ代表団で事務局長[1]。1930年から1932年まで広東総領事[2]。1934年から1937年まで奉天総領事[3]。1941年にオタワ総領事[3]。
1941年から1943年まで国務省極東部担当職員[3]。1943年から1944年12月まで極東部長[3][4]。1944年から1945年まで極東局長[3]。1945年から1947年まで国務長官特別補佐官[1]。第二次世界大戦後の極東国際軍事裁判では、検察側証人として開戦時の事情を証言[5]。
出典
[編集]- ^ a b c d “Register of the Joseph William Ballantine Papers, 1909-1970.”. Online Archive of California. 2011年7月1日閲覧。
- ^ a b c d e f g “Ballantine, Joseph William (b. 1888)”. The Political Graveyard. 2011年7月1日閲覧。
- ^ a b c d e 永井和. “野村吉三郎自筆英文書簡草稿A1014の日本語訳”. 京都大学大学院文学研究科. 2011年7月1日閲覧。
- ^ Eldridge, Robert D. (2001). The origins of the bilateral Okinawa problem. Routledge. pp. p.51
- ^ “ジョセフ・バランタイン(じょせふ・ばらんたいん)”. 2011年7月1日閲覧。
公職 | ||
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先代 マクスウェル・マクゴーギー・ハミルトン |
アメリカ合衆国国務省極東部長 1943年 - 1944年 |
次代 スタンリー・クール・ホーンベック |
先代 ジョセフ・グルー |
アメリカ合衆国国務省極東局長 1944年12月 - 1945年 |
次代 ジョン・カーター・ヴィンセント |