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ジョン・エルフィンストーン (第8代エルフィンストーン卿)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第8代エルフィンストーン卿ジョン・エルフィンストーン英語: John Elphinstone, 8th Lord Elphinstone PC1649年8月28日洗礼 – 1718年3月24日)は、スコットランドの貴族、軍人。

生涯

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第6代エルフィンストーン卿アレクサンダー・エルフィンストーンとリリアス・エルフィンストーン(Lilias Elphinstone第5代エルフィンストーン卿アレクサンダー・エルフィンストーンの娘)の息子として生まれ、1649年8月28日にエアス英語版で洗礼を受けた[1]

1669年5月11日に兄アレクサンダーが死去すると、エルフィンストーン卿の爵位を継承した[1]。1676年、スコットランド枢密院英語版の枢密顧問官に任命された[1]

1679年6月22日のボスウェル・ブリッジの戦い英語版に参戦したほか、ウィリアム3世を支持して、スコットランドにおける軍勢の竜騎兵大尉に任命され、1696年頃に軍務から引退した[1]

1703年5月14日、スコットランド議会英語版議員に正式に就任した[1]

1718年3月24日に死去、五男チャールズが爵位を継承した[1]

家族

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1670年4月28日、イザベル・メイトランド(Isabel Maitland、1654年頃 – 1706年10月7日、ウィリアム・メイトランドの娘)と結婚[1]、7男6女をもうけた[2]

  • ジョン(1672年5月13日生) - 早世
  • エリザベス(1673年5月24日 – 1758年4月13日) - 1692年、ジョン・キャンベル・オブ・マモア英語版(1729年没)と結婚、子供あり
  • チャールズ(1676年5月18日生) - 早世
  • イザベラ(1677年11月7日 – 1679年6月)
  • リチャード(1678年10月20日生) - 早世
  • メアリー・ベアトリス・アンナ・マーガレット・フランシス・イザベラ(1680年1月10日 – 2月14日)
  • ジェームズ(1681年2月14日生) - 早世
  • チャールズ(1682年 – 1757年)
  • アンナ(1683年5月29日 – 1706年以前)
  • マーガレット(1684年5月30日 – ?) - 1706年、ジョージ・レズリー(George Leslie、1681年頃 – 1715年6月17日)と結婚。1720年頃、第2代準男爵サー・ジェームズ・ゴードン(1727年没)と再婚。その後、ジョン・フラートン(John Fullerton)と再婚
  • ウィリアム(1685年8月13日生) - 早世
  • メアリー(1686年9月30日 – ?) - トマス・バカン(Thomas Buchan)と結婚

出典

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  1. ^ a b c d e f g Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1926). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Eardley of Spalding to Goojerat) (英語). Vol. 5 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 58–59.
  2. ^ "Elphinstone, Lord (S, 1509/10)". Cracroft's Peerage (英語). 30 January 2018. 2019年8月21日閲覧
スコットランドの爵位
先代
アレクサンダー・エルフィンストーン
エルフィンストーン卿
1669年 – 1718年
次代
チャールズ・エルフィンストーン