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ジョセフ・ピックフォード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョセフ・ピックフォードの子供たち。(ジョセフ・ライト画)

ジョセフ・ピックフォード: Joseph Pickford、1734年 - 1782年[1])は、イングランド建築家である。ジョージ3世の時代に地方で活動した著名な建築家の1人であった。

生涯

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ピックフォードは1734年にウォリックシャーで生まれたが、父の死後、幼少のうちにロンドンへ移り住んだ。石工かつ彫刻家でハイド・パークに事務所を構えるおじのジョセフ・ピックフォードの下で最初の修行を積んだ。ピックフォードは約10年間おじと共に働き、まず石工として、次いで建築家として修行した[2]。ピックフォードは一時、ロンドンとダービーの両方に事務所を構えた。彼は1760年頃ダービーに移り住み、フォアマーク・ホール英語版を建てたウォリックの建築家デイヴィッド・ハイオンの代理人となった[2]。そしてウェンマン・コーク英語版の筆頭代理人だったトーマス・ウィルキンスの娘メアリーと結婚した[2]。コークが住むダービーシャーのロングフォード・ホール英語版は1762年頃、ピックフォードによって改修されている。フライアー・ゲート41番地に彼が自分自身のために設計した家は、現在ピックフォードハウス博物館となり、グレード I のイギリス指定建造物となっている。2006年4月以降、建物は予約したグループのみが見学できるようになった[3]

ピックフォードはイングランドのミッドランド各州で広く仕事を手がけたが、町や田園の家をパラディオ式建築で設計することが多かった。彼の友人や顧客にはルナー・ソサエティの会員が多くいた。具体的には、陶器職人のジョサイア・ウェッジウッド、画家のジョセフ・ライト、発明家のマシュー・ボールトンジョン・ホワイトハーストが挙げられる。

主な建築物

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  • セント・ヘレンズ・ハウス英語版 - ダービーシャー、ダービー、キング・ストリート。ジョン・ギズボーンのため1766年-1767年に建築。
  • ハムズ・ホール - ウォリックシャー、コールズヒル。CB アダリーのため1768年に建築。現存せず。
  • エトルリア・ホール英語版 - スタッフォードシャー、ストーク・オン・トレント。ジョサイア・ウェッジウッドのため1768年-1770年に建築。現在ホテルの一部として残る。
  • セント・メアリーズ教会 - ウェスト・ミッドランズ、バーミンガム。現存せず。

写真集

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脚注

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  1. ^ Joseph Pickford” (英語). Oxford Dictionary of National Biography. Oxford University Press. 2011年7月3日閲覧。
  2. ^ a b c Edward Saunders (1984). “The Villas and Town Houses of Joseph Pickford of Derby (1736-82)”. Architectural History (SAHGB Publications Limited) 27 (Design and Practice in British Architecture: Studies in Architectural History Presented to Howard Colvin): 308-319. JSTOR 1568473. 
  3. ^ Protesters opposing museum cuts” (英語). BBC (2006年1月21日). 2010年7月3日閲覧。

参考文献

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  • Edward Saunders (1993). Joseph Pickford of Derby; a Georgian Architect. Alan Sutton