ウィリアム・ドゥーズベリ
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ウィリアム・ドゥーズベリ | |
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William Duesbury | |
ウィリアム・ドゥーズベリ(18世紀)のシルエット | |
生誕 |
ウィリアム・ドゥーズベリ 1725年9月7日 イングランド・スタッフォードシャー・ロングトンホール |
死没 |
[1] ダービー |
国籍 | イギリス |
民族 | コーカソイド |
市民権 | イギリス |
職業 | 琺瑯、起業家 |
配偶者 | サラ・ジェームズ |
子供 | ウィリアム・ドゥーズベリ2世 |
ウィリアム・ドゥーズベリ(英: William Duesbury、1725年 - 1786年)は、18世紀の有名な琺瑯職人、イギリスの起業家。ロイヤルクラウンダービーの創始者であり、ボウ、チェルシー, ダービー、ロングトン・ホールで磁器工房を所有していた[2]。
生涯
[編集]ドゥーズベリは1725年9月7日に生まれた[2]。1742年頃、彼はロンドンで琺瑯職人として働いており、そこに1753年まで留まった。その後、1754年-1755年の間、彼の父が住むロントン・ホールに居住し、そこで働いた。1756年には資金が溜まり、腕の立つ磁器職人たちとその製品を手に入れた上で、ダービーのノッティンガム・ロードに磁器工房を開く決心をした。この事業に関して、彼は地元の銀行家ジョン・ヒースとクリストファー・ヒースから出資を受け、またダービーに住んでいた陶芸家アンドリュー・プランシェの高い技能にも助けられた。
1775年、ドゥーズベリとジョン・ヒースはジョージ3世から、製品の工房印に王冠を含ませるという御用達の栄誉を受けた。ドゥーズベリの "D" は現在、王冠と共に「国王陛下御用達のダービー磁器工房」の印として記されている[3]。
ヒースたちが破産した後、事業はドゥーズベリが引き継いだ。彼は1786年に没し、息子のウィリアム・ドゥーズベリ2世が跡を継いだ[4]。
脚注
[編集]- ^ Campbell, Gordon (2006), The Grove encyclopedia of decorative arts, New York: Gordon Campbell, pp. 334
- ^ a b William Page, ed. (1911), “Pottery: Chelsea porcelain” (英語), A History of the County of Middlesex, 2: General; Ashford, East Bedfont with Hatton, Feltham, Hampton with Hampton Wick, Hanworth, Laleham, Littleton, pp. 150-155 2011年7月31日閲覧。
- ^ “History of Royal Crown Porcelain Company” (英語). History of UK Potters and Potteries 1900-2010. 2010年7月31日閲覧。
- ^ “Royal Crown Derby” (英語). Antique Marks. 2011年7月31日閲覧。