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ジョアニー・ロシェット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョアニー・ロシェット
Joannie ROCHETTE
フィギュアスケート選手
生誕 (1986-01-13) 1986年1月13日(38歳)
カナダケベック州モントリオール
身長 160センチメートル[1]
選手情報
代表国 カナダの旗 カナダ
カテゴリー 女子シングル
コーチ マノン・ペロン[2]
ナタリー・マーチン[2]
所属クラブ CPA Berthierville[2]
ISUサイト バイオグラフィ
ISUパーソナルベストスコア
+3/-3 GOEシステム
総合202.642010年バンクーバー五輪
SP71.362010年バンクーバー五輪
FS131.282010年バンクーバー五輪
大会成績
国際大会 1 2 3
オリンピック 0 0 1
世界選手権 0 1 0
四大陸選手権 0 2 1
グランプリファイナル 0 0 1
世界国別対抗戦 0 1 0
合計数 0 4 3
獲得メダル
""オリンピック""
2010 バンクーバー 女子シングル
世界選手権
2009 ロサンゼルス 女子シングル
四大陸選手権
2007 コロラドスプリングス 女子シングル
2008 高揚 女子シングル
2009 バンクーバー 女子シングル
世界国別対抗戦
2009 東京 団体
グランプリファイナル
2004 北京 女子シングル

ジョアニー・ロシェットフランス語: Joannie Rochette, 1986年1月13日[3] - )は、カナダフィギュアスケート選手(女子シングル)。2010年バンクーバーオリンピック銅メダリスト。2009年世界選手権2位、2006年トリノオリンピック5位。引退後はカナダで医師として働いている[4]

人物

[編集]

力強いジャンプとエレガントな滑りが持ち味[2]アクセルを除く5種類の3回転のジャンプをクリーンに跳び分けることができる選手である[5]

過去には2006年トリノオリンピックで知り合ったスピードスケート選手、フランソワ=ルイ・トランブレーと交際しており、2008年7月からはモントリオールのダウンタウンで同棲していた[6]

また、安藤美姫カロリーナ・コストナーとはジュニア時代から一緒の試合に出ていた同年代のスケーターだったため仲が良い。

経歴

[編集]

1986年1月13日ケベック州モントリオールで生まれる。6歳でスケートを始めた。カナダ選手権で2000年にノービスクラスを、2001年にジュニアクラスを制し、2002-2003シーズンからはシニアクラスで競技している[7]。2003-2004シーズンからISUグランプリシリーズに参戦し、翌2004-2005シーズンのエリック・ボンパール杯で初優勝。GPファイナルでは初出場ながら3位となり、カナダの女子シングル選手としては1995-1996シーズンのジョゼ・シュイナール以来となるメダルを獲得。同シーズンの2004年カナダ選手権で優勝し、カナダ選手権の3つのクラスで優勝を果たした。

2005-2006シーズン、カナダ選手権で2連覇を達成。トリノオリンピックでは、SPでミスが出て9位と出遅れたが、FSではほぼミスのない演技をして5位入賞を果たした。カナダで開催された世界選手権ではメダルが期待されていたが、SP、FSともにミスがあり、7位入賞にとどまった。

2008-2009シーズンは好調で、GPファイナルこそSPでの出遅れが響いて4位に終わったものの、その前のスケートカナダエリック・ボンパール杯で2連勝。カナダ選手権では5連覇を達成し、続く四大陸選手権世界選手権ではともに大きなミスのない演技で銀メダルを獲得した。カナダの女子シングル選手が世界選手権の表彰台に上るのは、1988年大会銀メダルのエリザベス・マンリー以来21年ぶり。

2010年バンクーバーオリンピックでの演技

2009-2010シーズン、カナダ選手権で6連覇を果たし、地元開催となったバンクーバーオリンピック代表に選出された。オリンピックでは200点の大台を超え銅メダルを獲得。閉会式ではカナダ選手団の旗手を務めた。続く世界選手権は欠場した。

2010-2011シーズンと2011-2012シーズンは10月のジャパンオープンに出場したのみで、ISU公式競技会はすべて欠場した。

2012年10月5日、日本で開催された第1回メダルウィナーズオープンに出場し荒川静香に次いで2位となる。

引退後は2015年からマギル大学の医学部に進学[8]。2020年4月に学位を取得し、医師となり、新型コロナウイルス感染症の世界的流行の期間、ケベック州の介護施設で働く事を明かしている[4]

バンクーバー五輪での母の死

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バンクーバー五輪では女子シングル開幕直前に母親が心臓発作で死去した[9]。母親の死のショックで欠場を本気で考えたが、母の「私はあなたに“強くなりなさい”って言ってきたでしょう」という声が聞こえたという。フリースケーティング後半では力尽きていたが、最後のトリプルサルコウを飛べたのはママが持ち上げてくれたからだと語っている。また「(キム・)ヨナ(浅田)真央にも感謝したい。二人が果敢に3回転-3回転や3回転アクセルに挑んだ姿を見て、私は悲しいことなんか忘れて正直、燃えたわ。ありがとう」とコメントしている[10]。2月27日、バンクーバー五輪組織委員会から、痛みや障害を克服して世界を感銘させた選手に贈る「テリー・フォックス賞」が贈られた[11]

主な戦績

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大会/年 98-99 99-00 00-01 01-02 02-03 03-04 04-05 05-06 06-07 07-08 08-09 09-10
冬季オリンピック 5 3
世界選手権 17 8 11 7 10 5 2
四大陸選手権 9 8 4 3 2 2
世界国別対抗戦 2
カナダ選手権 15 N 1 N 1 J 3 2 2 1 1 1 1 1 1
GPファイナル 3 4 5
GPスケートカナダ 10 2 1 3 1 1
GP中国杯 3 3
GPエリック杯 1 4 4 1
GPロシア杯 4 3
世界Jr.選手権 8 5
JGPトラパネーゼ杯 3
JGPバルト杯 5
JGPメキシコ杯 4
JGPサンジェルヴェ 5

詳細

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2013-2014 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2013年10月5日 2013年ジャパンオープンさいたま - 2
123.99
2
団体
2011-2012 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2011年10月1日 2011年ジャパンオープンさいたま - 2
112.74
1
団体
2010-2011 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2010年10月2日 2010年ジャパンオープンさいたま - 1
122.71
2
団体
2009-2010 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2010年2月12日 - 28日 バンクーバーオリンピックバンクーバー 3
71.36
3
131.28
3
202.64
2010年1月11日 - 17日 カナダフィギュアスケート選手権ロンドン 2
64.15
1
144.08
1
208.23
2009年12月3日 - 6日 2009/2010 ISUグランプリファイナル東京 4
60.94
5
95.77
5
156.71
2009年11月19日 - 22日 ISUグランプリシリーズ スケートカナダキッチナー 1
70.00
1
112.90
1
182.90
2009年10月29日 - 11月1日 ISUグランプリシリーズ 中国杯北京 7
52.12
2
111.06
3
163.18
2009年10月3日 2009年ジャパンオープンさいたま - 1
126.39
2
団体
2008-2009 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2009年4月16日 - 19日 2009年世界フィギュアスケート国別対抗戦東京 2
62.08
2
120.08
2
182.16
2009年3月23日 - 29日 2009年世界フィギュアスケート選手権ロサンゼルス 2
67.90
2
123.39
2
191.29
2009年2月2日 - 8日 2009年四大陸フィギュアスケート選手権バンクーバー 2
66.90
2
117.01
2
183.91
2009年1月14日 - 18日 カナダフィギュアスケート選手権サスカトゥーン 2
53.58
1
131.77
1
185.35
2008年12月10日 - 14日 2008/2009 ISUグランプリファイナル高陽 6
50.48
3
115.88
4
166.36
2008年11月13日 - 16日 ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯パリ 1
59.54
1
121.19
1
180.73
2008年10月30日 - 11月2日 ISUグランプリシリーズ スケートカナダオタワ 1
64.74
1
124.15
1
188.89
2007-2008 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2008年3月17日 - 23日 2008年世界フィギュアスケート選手権ヨーテボリ 6
59.53
5
114.59
5
174.12
2008年2月11日 - 17日 2008年四大陸フィギュアスケート選手権高陽 3
60.04
2
119.50
2
179.54
2008年1月16日 - 20日 カナダフィギュアスケート選手権バンクーバー 1
59.32
1
116.44
1
175.76
2007年11月22日 - 25日 ISUグランプリシリーズ ロシア杯モスクワ 5
50.56
2
119.35
3
169.91
2007年11月1日 - 4日 ISUグランプリシリーズ スケートカナダケベックシティ 5
55.48
3
112.70
3
168.18
2006-2007 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2007年4月29日 2007年ジャパンオープンさいたま - 3
107.78
3
団体
2007年3月19日 - 25日 2007年世界フィギュアスケート選手権東京 16
49.85
5
109.13
10
158.98
2007年2月5日 - 11日 2007年四大陸フィギュアスケート選手権コロラドスプリングス 1
56.60
3
109.30
3
165.90
2007年1月15日 - 21日 カナダフィギュアスケート選手権ハリファックス 1
56.89
1
113.76
1
170.65
2006年11月17日 - 19日 ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯パリ 3
58.92
5
92.60
4
151.52
2006年11月2日 - 5日 ISUグランプリシリーズ スケートカナダビクトリア 5
55.60
1
118.26

173.86
2005-2006 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2006年5月14日-日 2006年ジャパンオープンさいたま - - - 2
団体
2006年3月19日-26日 2006年世界フィギュアスケート選手権カルガリー 1
29.28
7
56.38
8
103.75
7
189.41
2006年2月10日-26日 トリノオリンピックトリノ - 9
55.85
5
111.42
5
167.27
2006年1月9日-15日 カナダフィギュアスケート選手権オタワ 1
26.35
1
56.42
1
113.06
1
195.83
2005年11月17日-20日 ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯パリ - 4
57.08
5
110.14
4
167.22
2005年10月27日-30日 ISUグランプリシリーズ スケートカナダセントジョンズ - 3
50.68
2
107.62
2
158.30
2004-2005 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2005年3月14日-20日 2005年世界フィギュアスケート選手権モスクワ 5
23.65
9
56.40
15
92.94
11
172.99
2005年1月17日-23日 カナダフィギュアスケート選手権ロンドン 2
27.35
1
60.81
1
123.12
1
211.28
2004年12月16日-19日 2004/2005 ISUグランプリファイナル北京 - 3
55.68
2
101.00
3
156.68
2004年11月18日-21日 ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯パリ - 1
55.64
1
113.08
1
168.72
2004年11月11日-14日 ISUグランプリシリーズ 中国杯北京 - 5
49.44
2
102.68
3
152.12
2003-2004 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2004年3月22日-28日 2004年世界フィギュアスケート選手権ドルトムント 5 9 8 8
2004年1月19日-25日 2004年四大陸フィギュアスケート選手権ハミルトン - 6 3 4
2004年1月5日-11日 カナダフィギュアスケート選手権エドモントン 1 5 1 2
2003年11月20日-23日 ISUグランプリシリーズ ロシア杯モスクワ - 4
50.56
4
88.74
4
139.30
2003年10月30日-11月3日 ISUグランプリシリーズ スケートカナダミシサガ - 7
50.78
10
76.54
10
127.32
2002-2003 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2003年3月24日-30日 2003年世界フィギュアスケート選手権ワシントンD.C. 9 16 19 17
2003年2月10日-16日 2003年四大陸フィギュアスケート選手権北京 - 7 8 8
2003年1月6日-12日 カナダフィギュアスケート選手権サスカトゥーン 2 3 2 2
2001-2002 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2002年3月3日-10日 2002年ジュニア世界フィギュアスケート選手権ハーマル 2 8 5 5
2002年1月21日-27日 2002年四大陸フィギュアスケート選手権全州 - 10 9 9
2002年1月8日-13日 カナダフィギュアスケート選手権ハミルトン 1 5 2 3
2001年11月7日-11日 ISUジュニアグランプリ トラパネーゼ杯ミラノ - 4 2 3
2001年10月11日-14日 ISUジュニアグランプリ バルト杯グダニスク - 7 4 5
2000-2001 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2001年2月26日-3月2日 2001年世界ジュニアフィギュアスケート選手権ソフィア 7 6 9 8
2001年1月16日-21日 カナダフィギュアスケート選手権 ジュニアクラス(ウィニペグ - 1 2 1
2000年9月14日-17日 ISUジュニアグランプリ メキシコ杯メキシコシティ - 5 4 4
2000年8月23日-26日 ISUジュニアグランプリ サンジェルヴェサン・ジェルヴェ - 7 6 5

プログラム使用曲

[編集]
シーズン SP FS EX
2009-2010 ラ・クンパルシータ
作曲:ヘラルド・マトス・ロドリゲス
サムソンとデリラ
作曲:カミーユ・サン=サーンス
オブジェクション
ボーカル:シャキーラ
Vole
ボーカル:セリーヌ・ディオン
2008-2009 サマータイム/女は一時の慰みものさ[12]
作曲:ジョージ・ガーシュウィン
演奏:江口晶、ギル・シャハム
振付:シェイ=リーン・ボーン
アランフエス協奏曲[5]
作曲:ホアキン・ロドリーゴ
振付:ローリー・ニコル
ダイ・アナザー・デイ
ボーカル:マドンナ
2007-2008 ピアノ協奏曲第1番
作曲:ピョートル・チャイコフスキー
ピアノ協奏曲
作曲:ロベルト・シューマン
ミュージカル「ドン・ファン」より[6]
作曲:フェリックス・グレイ
振付:デヴィッド・ウィルソン
サマータイム[13]
ボーカル:レネー・オルステッド
振付:シェイ=リーン・ボーン
2006-2007 リトル・ウィング[14]
作曲:ジミ・ヘンドリックス
Vole[13]
ボーカル:セリーヌ・ディオン
2005-2006[3][13] ライク・ア・プレイヤー
作曲:マドンナ、パトリック・レナード
枯葉
作曲:ジョゼフ・コズマ
愛の賛歌
作曲:マルグリット・モノー
ライク・ア・プレイヤー
ボーカル:マドンナ
2004-2005[13][13] ドゥムキー
作曲:アントニン・ドヴォルザーク
火の鳥
作曲:イーゴリ・ストラヴィンスキー
Labour Of Love
by Frente!
2003-2004[13][13] Metamorphoses
作曲:ウィリー・シュワルツ
Il Etait Une Fois Le Diable
作曲:エンニオ・モリコーネ
黒くぬれ!
演奏:ヴァネッサ・カールトン

脚注

[編集]
  1. ^ http://www.olympic.ca/en/athletes/joannie-rochette/
  2. ^ a b c d 『フィギュアスケートDays Plus 2008-2009女子シングル読本』ダイエックス出版、2008年9月、p.81
  3. ^ a b 『フィギュアスケート選手名鑑 2006』新書館、2005年12月、p.111
  4. ^ a b Retired Canadian Olympian Joannie Rochette to work at Quebec long-term care homes”. CBC Sports (2020年4月26日). 2022年3月9日閲覧。
  5. ^ a b 『ワールド・フィギュアスケート 35』新書館、2008年12月、p.31
  6. ^ a b 『ワールド・フィギュアスケート 36』新書館、2009年2月、pp.32-33
  7. ^ カナダスケート連盟によるプロファイル、2009年4月1日閲覧
  8. ^ オリンピックで輝いたあのフィギュアスケーターはいま?”. ELLEgirl (2018年2月24日). 2022年3月9日閲覧。
  9. ^ フィギュア女子・ロシェットの母親が死去「読売新聞」2010年2月22日、同日閲覧[リンク切れ]
  10. ^ Joannie Rochette Wins Figure Skating Olympics Bronze Medal in Inspirational SkateDigital Citizen 2010年2月26日
  11. ^ ロシェットらにテリー賞「時事通信」2010年2月28日
  12. ^ 『WFS35』p.30
  13. ^ a b c d e f g ジョアニー・ロシェット公式サイト バイオグラフィー
  14. ^ 「大会結果 世界選手権 女子シングル」『フィギュアスケートDays vol.3』DAI-X出版、2007年5月、p.13(特集名:2007 東京世界選手権)

外部リンク

[編集]