ジュディット・ド・ブルターニュ
表示
ジュディット・ド・ブルターニュ Judith de Bretagne | |
---|---|
出生 |
982年 |
死去 |
1017年8月28日 |
埋葬 | ノルマンディー公国、ベルネー修道院 |
配偶者 | ノルマンディー公リシャール2世 |
子女 | 本文参照 |
家名 | レンヌ家 |
父親 | ブルターニュ公コナン1世 |
母親 | エルマンガルド=ジェルベルジュ・ダンジュー |
ジュディット・ド・ブルターニュ(フランス語:Judith de Bretagne, 982年 - 1017年8月28日)は、ノルマンディー公リシャール2世の妃。
生涯
[編集]ジュディットはブルターニュ公コナン1世とエルマンガルド=ジェルベルジュ・ダンジューの娘として982年に生まれた[1]。ジュディットはロベール1世の母であり、イングランド王となるウィリアム1世の内祖母にあたる[2]。
ジュディットの結婚はノルマンディーとブルターニュの同盟のために行われた二重結婚のうちの1組であった[3]。996年にジュディットの兄ジョフロワ1世はノルマンディー公リシャール1世の娘アヴォワーズと結婚し、1000年ごろにジュディットはアヴォワーズの兄リシャール2世と結婚した[4]。ジュディットは1017年8月28日に死去し[1]、1013年にジュディットが創建したベルネー修道院に埋葬された[5]。
子女
[編集]ジュディットは1000年ごろにノルマンディー公リシャール2世と結婚し[6][2]、2人の間に6子が生まれた。
- リシャール3世(1002/4年 - 1027年) - ノルマンディー公[2]
- アリス(アデライード)(1003/5年 - 1038年) - ブルゴーニュ伯ルノー1世と結婚[2]
- ロベール1世(1005/7年 - 1035年) - ノルマンディー公[2]
- ギヨーム(1007/9年 - 1025年) - フェカンの修道士[2]
- エレオノール(1011/3年 - 1071年以降) - フランドル伯ボードゥアン4世と結婚[2]
- マティルド(1013/5年 - 1033年) - フェカンの修道女[7]
参考文献
[編集]- ^ a b Detlev Schwennicke, Europäische Stammtafeln: Stammtafeln zur Geschichte der Europäischen Staaten, Neue Folge, Band II (Verlag von J. A. Stargardt, Marburg, Germany, 1984). Tafel 75
- ^ a b c d e f g Detlev Schwennicke, Europäische Stammtafeln: Stammtafeln zur Geschichte der Europäischen Staaten, Neue Folge, Band II (Verlag von J. A. Stargardt, Marburg, Germany, 1984). Tafel 79
- ^ K. S. B. Keats-Rohan, 'Poppa of Bayeux And Her Family', The American Genealogist, Vol. 72 No. 4 (July/October 1997), p. 192 n. 12
- ^ David C. Douglas, William the Conqueror (Berkeley: University of California Press, 1964), p. 29
- ^ Edward Bell, 'The Abbey Church of Bernay', The Archaeological Review, Vol. IV (August, 1899–January, 1890), p. 57
- ^ K. S. B. Keats-Rohan, 'Poppa of Bayeux And Her Family', The American Genealogist, Vol. 72 No. 4 (July/October 1997), p. 192 (here calling her Judith of Rennes)
- ^ David C. Douglas, William the Conqueror (Berkeley: University of California Press, 1964), p. 31