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ジャニコロ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジャニコロからのぞむローマのパノラマ
ガリバルディ広場 (Piazzale Garibaldi)
毎日、正午に発砲される礼砲
パオラの泉イタリア語版
パオラの泉イタリア語版

ジャニコロヤニクルム (Gianicolo, Janiculum) はローマにある丘。「現代のローマ七丘」のひとつ[1]。ローマ市域のテヴェレ川西岸にある高地で、ヴァチカンの丘の南にあたる。トラステヴェレの一部として扱われるケースもあれば[2]、トラステヴェレとは別に扱われるケースもある[3]。別に扱われる場合、トラステヴェレの中心市街から見ると北か西にあたる。逆に古代においてはトラステヴェレもこの丘と同じくヤニクルムと呼ばれていた[4]。高さが88メートルあり、ローマ市内を一望のもとに見渡せる展望スポットとしても知られる[3]

王政ローマヌマ・ポンピリウス王の墓でもあるといわれ[5]、古くからローマの一部ではあったが、完全に壁内の土地となるにはウルバヌス8世(17世紀)によるジャニコレンシ城壁英語版(Mura Gianicolensi) の建設まで待たねばならなかった[6]。古代には海までの道が通っていたらしい。ウィッテリアという名前の道路がこの丘から発して海まで続いてたというが、この道に関する資料はほとんど残っていない[7]ローマ包囲戦 (紀元前508年)においてはこの丘もエトルリアに占領されたことがある[8]。ローマに水車が普及し始めたのは4世紀ごろだが、550年の記録によれば、当時のローマの水車はすべてこの丘で集中して管理されていたという[9]

ペトロ殉教の地とされており、それを記念してサン・ピエトロ・イン・モントリオ教会が建てられている[10]。みどころとしては他にヴィラ・ファルネジーナ[11]ジュゼッペ・ガリバルディの像があるガリバルディ広場 (Piazzale Garibaldi)[3]パオラの泉イタリア語版 (Fontana dell'Acqua Paola)[3]がある。

古代ローマ時代の地形と位置関係

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紀元前31年のローマの地図上に示した、ローマの七丘およびその他の主要地形の名称。都市を囲む黒点線はセルウィウス城壁

初期ローマの七丘
都市ローマ成立前に人が定住したと伝えられる七丘で、オッピウス(オッピオ)、パラティウム(パラティーノの東側)、ウェリア(ヴェーリア)、ファグタル(オッピオの一部)、ケルマルス(パラティーノの西側)、カエリウス(チェリオ)、キスピウスの7つである。
※カッコ内は現代のイタリア語での表記。
ローマの七丘
都市ローマの起源となったローマの七丘は、アウェンティヌス(アヴェンティーノ)、カピトリヌス(カンピドリオ)、カエリウス(チェリオ)、エスクイリヌス(エスクイリーノ)、パラティヌス(パラティーノ)、クイリナリス(クイリナーレ)、ウィミナリス(ヴィミナーレ)の7つである。
※カッコ内は現代のイタリア語での表記。
現代のローマ七丘
アウェンティヌス(アヴェンティーノ)、カピトリヌス(カンピドリオ)、パラティヌス(パラティーノ)、クイリナリス(クイリナーレ)、ホルトゥロルム(ピンチョ)、ヤニクルム(ジャニコロ)、オッピウス(オッピオ)の7つ[12]である。
※カッコ内は現代のイタリア語での表記。

関連項目

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脚注

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  1. ^ 「ローマ七丘」、『世界大百科事典』(平凡社)、1988年。
  2. ^ パラーディオ,アンドレア; ハート,ヴォーン; ヒックス,ピーター 著、桑木野幸司 訳『パラーディオのローマ : 古代遺跡・教会案内』白水社、2011年、169-173頁https://ci.nii.ac.jp/ncid/BB07437697 
  3. ^ a b c d 大砲が響くジャニコロの丘でローマの眺望を眺める”. 地球の歩き方メディアパートナーズ. 2019年4月28日閲覧。
  4. ^ パラーディオ et al. 2011, p. 139。
  5. ^ パラーディオ et al. 2011, p. 73および注。
  6. ^ Mura di Roma”. RomaSegreta.it. 2019年4月28日閲覧。
  7. ^ パラーディオ et al. 2011, p. 69および注。アウルス・ウィテッリウス帝の一族と関係がある道という。
  8. ^ 河島英昭ローマ散策』 新赤版 698、岩波書店〈岩波新書〉、2000年、51-52頁https://ci.nii.ac.jp/ncid/BA49236934 
  9. ^ 門脇重道「18世紀までの水車動力 (1)」『ターボ機械』第6巻、第4号、199頁、1978年。doi:10.11458/tsj1973.6.196 
  10. ^ 稲川直樹; 桑木野幸司; 岡北一孝『ブラマンテ盛期ルネサンス建築の構築者』NTT出版、2014年、262-263頁。ISBN 9784757143357https://books.google.co.jp/books?id=AfaST0gEuNUC 
  11. ^ 桂芳樹「ゲーテの造形空間」『モルフォロギア: ゲーテと自然科学』第1984巻、第6号、27頁、1984年。doi:10.11460/morpho1979.1984.26 
  12. ^ 「ローマ七丘」、『世界大百科事典』(平凡社)、1988年。

座標: 北緯41度53分30秒 東経12度27分40秒 / 北緯41.89167度 東経12.46111度 / 41.89167; 12.46111