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ジャズ批評

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ジャズ批評』(ジャズひひょう)は、ジャズ批評社が刊行する、主にジャズを専門とした隔月刊音楽雑誌1967年6月に季刊誌として創刊され、2004年6月から隔月刊に移行した[1]

1998年以降は、「ジャズ批評ブックス」と題するシリーズの単行本の出版も手がけている[1]

歴史

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銀座ジャズ喫茶「オレオ」を1965年6月に開業していた松坂妃呂子1932年 - 2018年[2])が、店に集った人々の同人誌として1967年6月に『ジャズ批評』を創刊した[3][4][5][6][7][8]。創刊号の制作費は10万円で、48ページの冊子が、1500部印刷された[5][7][8]。2号からは活字印刷となり[5]、一般の雑誌として全国に流通した[7]

「オレオ」は1970年に閉店したが、『ジャズ批評』は刊行が継続された[8]。64号からは[5]和田誠が16年間にわたって表紙のイラストを手がけた[3][4]

また、資生堂が広告出稿によって長らく支援しているが、これは山本吉兵衛の意向によるものとされる[3]

長らく寄稿者として関わりのあったジャズ評論家の岩浪洋三は、「良い意味でジャーナリズムの伝統が生きている雑誌」と『ジャズ批評』を評価していた[5]

連載をもとに出版された単行本

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脚注

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  1. ^ a b ジャズ批評について”. ジャズ批評社. 2020年6月28日閲覧。
  2. ^ JAZZ meets 杉田誠一 #104「追悼 松坂妃呂子」”. JazzTokyo (2018年6月30日). 2023年7月3日閲覧。
  3. ^ a b c 斎藤鑑三 (2003年10月25日). “(ぴーぷる)松坂妃呂子さん 「ジャズ批評」150冊に”. 朝日新聞・朝刊週末Be: p. 4. "「編集兼発行人」のうち、「編集」を若手にゆだねたが、36年続くジャズ専門誌を語るには、松坂妃呂子さんをおいてない。「といっても、私を含め社員4人。編集、校閲、納品……。担当なんかあったもんじゃないのよ」。... 53年に上京、65年、銀座一丁目にジャズ喫茶「オレオ」を開店した。店内に同人誌や私家版の詩集を置いたり、休日の木曜日を常連客に開放したりした。そんな中で、67年6月に創刊する。... 創刊号から欠かさず表紙の見返しに資生堂の1ページ広告が載る。書道仲間だった資生堂元社長の山本吉兵衛さん(84年没)が資金難を見越して助けてくれた。この広告が雑誌の信用につながる。若い頃、喫茶店に出入りしていた和田誠さんが薄謝で表紙を描き続ける。"  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  4. ^ a b 斎藤鑑三 (2009年6月13日). “(ぴーぷる)松坂妃呂子さん 「ジャズ批評」150冊に”. 朝日新聞・夕刊: p. 10. "松坂妃呂子(ひろこ)さん(76)が編集・発行するジャズ専門誌「ジャズ批評」が6月下旬、150冊目の記念号を発売する。... 東京・銀座にジャズ喫茶を開店、それを機に67年6月に創刊した。... 16年間も薄謝で表紙を描き続けてくれたイラストレーター和田誠さん ..."  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  5. ^ a b c d e 野村由美子. “彼女たちのストーリー 松坂妃呂子さん(73) 『ジャズ批評』編集・発行人 庶民の音楽 紙面で奏でる”. 中日新聞・朝刊: p. 9. "四十年余の付き合いで執筆陣の一人、ジャズ評論家の岩浪洋三さんは「... 自由に発言できる、良い意味でジャーナリズムの伝統が生きている雑誌」と評価する。... 離婚して娘を育てるため、四十一年前にジャズ喫茶「オレオ」を開いた。... 相場の十分の一で銀座のビルを借り開店。... ジャズの神様、ジョン・コルトレーンも来日した当時、フリージャズ通の店としてにぎわった。... 店に文芸の同人誌などを置くうちに「自分たちで同人誌を作ったら」と言われ、作ってしまったのが三十四歳。紫色の原紙にタイプを打った。四十八ページ、千五百部。費用は十万円だった。季刊で二号からは活字印刷。徐々に全国に読者が広がった。... 六十四号からの和田誠さんの表紙イラストもその縁。"  - 中日新聞・東京新聞データベースにて閲覧
  6. ^ 市原佳菜子 (2016年7月29日). “[ふるさとにエール]松坂妃呂子さん(上)(連載)”. 読売新聞・東京朝刊・福島: p. 35. "まつざか・ひろこ 1932年生まれ。上京後にジャズに引かれ、65年、東京・銀座1丁目にジャズ喫茶「オレオ」を開店。さらにファン同士の交流を出発点に67年、雑誌「ジャズ批評」を創刊した。... 75年から全国のジャズ喫茶を紹介する特集号も発行。"  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  7. ^ a b c 市原佳菜子 (2016年7月30日). “[ふるさとにエール]松坂妃呂子さん(中)(連載)”. 読売新聞・東京朝刊・福島: p. 31. "■自らジャズ喫茶を始められたということですが。「1965年です。... 銀座1丁目のビルの一室を借りて開いた店の名前は『オレオ』。ソニー・ロリンズの曲からとりました」... ■創刊のいきさつを。「67年に店をたまり場のようにしていた人たちと同人誌を作ることになりました。それが48ページの創刊号。制作費は10万円でした。『これだけいい原稿が集まるなら』と言われ、2号から全国の書店で売れるようになりました」"  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  8. ^ a b c 市原佳菜子 (2016年7月31日). “[ふるさとにエール]松坂妃呂子さん(下)(連載)”. 読売新聞・東京朝刊・福島: p. 33. "東京・銀座のジャズ喫茶に集まった仲間と作った同人誌を出発点に、今も号数を重ねる雑誌「ジャズ批評」。川俣町出身の創刊者、松坂妃呂子さん(83)からの「ふるさとにエール」は、... ■雑誌の発行が軌道に乗ったのはいつ頃ですか。「創刊号は1500部すりました。少しずつ増え、1976年に出した『ジャズ日本列島』という号で1万部を超えました。日本中のジャズ喫茶500店を紹介する狙いが支持されました。... 店そのものは70年に閉店しましたが、その後も店のお客さんだった人の縁に助けられました」■大変だった経験は。「70年代末頃に資金不足に陥った時は、川俣の同級生が知り合いの医師に相談し、投資してくれたので乗り切れました。...」"  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  9. ^ “「ときめきJAZZタイム」ラズウェル細木著”. 読売新聞・東京夕刊: p. 13. (1989年12月12日). "季刊誌「ジャズ批評」に掲載した十三編と書き下ろしの一編をまとめた漫画集。...(ジャズ批評社、千五百円)"  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  10. ^ “ジャズボーカルの名盤とその魅力を紹介”. 読売新聞・東京夕刊: p. 6. (2015年4月2日). "書籍「ヴォーカルはいつも最高だ!」が駒草出版から刊行された。「ジャズ批評」で2007年から7年間連載されたコラムを基にしており、... 著者の武田清一は、..."  - ヨミダス歴史館にて閲覧