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ジミー・グリーブス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジミー・グリーヴスから転送)
ジミー・グリーヴス
トッテナムFC在籍時代(1964年)
名前
本名 ジェイムズ・ピーター・グリーヴス
James Peter Greaves
愛称 Greavsie
ラテン文字 Jimmy Greaves
基本情報
国籍 イングランドの旗 イングランド
生年月日 (1940-02-20) 1940年2月20日
出身地 グレーター・ロンドン ニューアム区マナー・パーク
没年月日 (2021-09-19) 2021年9月19日(81歳没)
身長 173cm
選手情報
ポジション FW (CF)
利き足 右足
ユース
1955–1957 イングランドの旗 チェルシー
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1957–1961 イングランドの旗 チェルシー 157 (124)
1961 イタリアの旗 ミラン 12 (9)
1961-1970 イングランドの旗 トッテナム 321 (220)
1970-1971 イングランドの旗 ウェストハム 38 (13)
1975-1976 イングランドの旗 ブレントウッド
1976-1977 イングランドの旗 チェルムスフォード 38 (20)
1977-1979 イングランドの旗 バーネット
1979-1980 イングランドの旗 ウッドフォード英語版
代表歴2
1957-1962 イングランドの旗 イングランド U-23 12 (13)
1959-1967 イングランドの旗 イングランド[1] 57 (44)
1. 国内リーグ戦に限る。2020年9月4日現在。
2. 2020年9月4日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ジェイムズ・ピーター・"ジミー"・グリーヴスJames Peter "Jimmy" Greaves MBE, 1940年2月20日 - 2021年9月19日)は、イングランドロンドン出身の元同国代表サッカー選手。現役時代のポジションはFW(センターフォワード)。1960年代のイングランドを代表するストライカーの一人で[2]、6度のリーグの得点王を獲得している。

クラブ経歴

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1957年にチェルシーFCフットボールリーグデビュー。1959年と1961年の2度得点王に輝いた。1960-61シーズンの41得点は現在もクラブ記録として残っている。1960年には史上最年少の20歳290日でリーグ通算100得点を達成。チェルシーでは通算157試合で124得点を挙げた。

1961年にセリエAACミランへ移籍する。14試合9得点を記録するが、同年12月にビル・ニコルソン率いるトッテナム・ホットスパーFCへ加入し母国へ復帰。移籍後初出場のブラックプールFC戦でハットトリックを達成した。10年間在籍し321試合でクラブ記録の220得点を挙げ、1963年、1964年、1965年、1969年の4度得点王に輝いた。1962年と1967年にFAカップ、1963年にUEFAカップウィナーズカップで優勝した。

1970年にウェストハム・ユナイテッドFCに移籍。38試合で13得点を挙げ、1971年に31歳で現役を引退した。

リーグでは通算516試合に出場し、イングランド1部リーグ史上最多の357得点を挙げた。得点王6度も歴代最多記録。また、2017年にリオネル・メッシクリスティアーノ・ロナウドに抜かれるまで欧州5大リーグ歴代最多得点者だった。

代表歴

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1959年5月17日のペルーとの親善試合でイングランド代表デビューすると共に代表初ゴールを挙げる。1963年11月20日の北アイルランド戦と1966年6月29日のノルウェー戦では1試合4得点を記録している。

1962年W杯チリ大会では、1次リーグ2試合目のアルゼンチン戦でW杯初ゴール。イングランドは決勝トーナメントに進出するが準々決勝でブラジルに敗退。地元開催となった1966年W杯イングランド大会では、ロジャー・ハントの活躍で1次リーグを1位で突破。グリーブス自身は1次リーグ3試合目のフランス戦で足を痛めたため決勝トーナメントには出場しなかったが、チームはアルゼンチン、ポルトガルを破り決勝に進出。西ドイツを延長で破り初優勝を飾った。W杯通算成績は7試合に出場し1得点。

1967年5月27日のオーストリアとの親善試合が代表最後の試合となった。代表通算57試合で44得点を記録。ウェイン・ルーニーボビー・チャールトンゲーリー・リネカーに次ぐ歴代4位。代表でのハットトリック6回は最多記録である。

人物

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近年のグリーヴス(2007年)

妻アイリーンとの間に4人の子供を儲けている。

ストライカーとして多大な功績を収めた一方で、アルコールやそれに関連する病気とも闘ってきた。1965年には肝炎により3か月間ピッチを離れ、現役引退後にはアルコール依存症に悩まされる。2012年に2度の脳卒中を発症し治療を受けたが、いずれも軽度のものであった。トッテナム殿堂入りの式典を控えた2015年5月、より重度の脳卒中に倒れ入院。[3]。以後は車椅子生活となった。2020年4月7日にも体調不良により緊急入院したが、1週間後に退院した[4]。しかし1年後の2021年9月19日に死去が伝えられている。81歳没[5]

個人成績

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クラブでの成績

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クラブ シーズン リーグ カップ リーグカップ 国際大会 その他 合計
試合 得点 試合 得点 試合 得点 試合 得点 試合 得点 試合 得点
チェルシー 1957-58 35 22 2 0 0 0 0 0 0 0 37 22
1958-59 42 32 2 2 0 0 3 3 0 0 47 37
1959-60 40 29 2 1 0 0 0 0 0 0 42 30
1960-61 40 41 1 0 2 2 0 0 0 0 43 43
合計 157 124 7 3 2 2 3 3 0 0 169 132
ミラン 1961-62 12 9 0 0 0 0 0 0 0 0 12 9
合計 12 9 0 0 0 0 0 0 0 0 12 9
トッテナム 1961-62 22 21 7 9 0 0 2 0 0 0 31 30
1962-63 41 37 1 0 0 0 6 5 11 21 49 44
1963-64 41 35 2 0 0 0 2 1 0 0 45 36
1964-65 41 29 4 6 0 0 0 0 0 0 45 35
1965-66 29 15 2 1 0 0 0 0 0 0 31 16
1966-67 38 25 8 6 1 0 0 0 0 0 47 31
1967-68 39 23 4 3 0 0 4 3 11 01 48 29
1968-69 42 27 4 4 6 5 0 0 0 0 52 36
1969-70 28 8 4 3 1 0 0 0 0 0 33 11
合計 321 220 36 32 8 5 14 9 2 2 381 268
ウェストハム 1969-70 6 4 0 0 0 0 0 0 0 0 6 4
1970-71 32 9 1 0 1 0 0 0 0 0 34 9
合計 38 13 1 0 1 0 0 0 0 0 40 13
総合計 528 366 44 35 11 7 17 12 2 2 602 422

代表での成績

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出典[6]


イングランド代表国際Aマッチ
出場得点
1959 5 2
1960 6 9
1961 4 5
1962 10 6
1963 8 8
1964 9 6
1965 5 2
1966 7 5
1967 3 1
合計 57 44

タイトル

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クラブ
ミラン
トッテナム
イングランド代表
個人
  • フットボールリーグ・ファーストディヴィジョン得点王 : 1958-59(32得点), 1960-61(41得点), 1962-63(37得点), 1963-64(35得点), 1964-65(29得点), 1968-69(27得点)

脚注

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  1. ^ “England Players - Jimmy Greaves” (英語). England Football Online. http://www.englandfootballonline.com/TeamPlyrsBios/PlayersG/BioGreavesJP.html 
  2. ^ 週刊サッカーマガジン 編『サッカーマルチ大事典 改訂版』ベースボール・マガジン社、2006年、167頁。ISBN 4-583-03880-1 
  3. ^ イングランドのレジェンド、グリーブス氏が脳卒中で緊急入院”. 超ワールドサッカー (2015年5月5日). 2020年9月5日閲覧。
  4. ^ イングランドのレジェンドFWグリーブス氏が無事退院!”. 超ワールドサッカー (2020年4月15日). 2020年9月5日閲覧。
  5. ^ 元英代表FWグリーヴス氏が死去…66年のW杯優勝メンバー、トッテナムやチェルシーでも活躍”. soccer-king (2021年9月19日). 2021年9月19日閲覧。
  6. ^ James Peter "Jimmy" Greaves - Goals in International Matches”. rsssf.com. 2017年7月4日閲覧。

外部リンク

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