ジキル&ハイド (映画)
ジキル&ハイド | |
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Mary Reilly | |
監督 | スティーヴン・フリアーズ |
脚本 | クリストファー・ハンプトン |
製作 |
ネッド・タネン ナンシー・グレアム・タネン ノーマ・ヘイマン |
製作総指揮 | リン・プレシェット |
出演者 |
ジュリア・ロバーツ ジョン・マルコヴィッチ |
音楽 | ジョージ・フェントン |
撮影 | フィリップ・ルースロ |
編集 | レスリー・ウォーカー |
製作会社 | パインウッド・スタジオ |
配給 |
トライスター ピクチャーズ COLTRI |
公開 |
1996年2月23日 1996年8月31日 |
上映時間 | 108分 |
製作国 | アメリカ合衆国 |
言語 | 英語 |
製作費 | $47,000,000 |
興行収入 | $12,379,402[1] |
『ジキル&ハイド』(原題: Mary Reilly)は、1996年に公開されたアメリカ映画。
この作品はロバート・ルイス・スティーヴンソンの小説『ジキル博士とハイド氏』を基にした、ヴァレリー・マーティンの小説『メアリー・ライリー/ジーキル&ハイドの恋』が、原作である。
監督はスティーヴン・フリアーズ、脚本はクリストファー・ハンプトンがそれぞれ担当した。なお、出演者のうちグレン・クローズとジョン・マルコヴィッチの2名は、アカデミー賞にノミネートされた1988年の作品『危険な関係』でフリアーズとハンプトンとともに仕事をしたことがある。
あらすじ
[編集]ヘンリー・ジキル博士のメイドの一人であるメアリーは、過去に飲んだくれの父親に虐待されたこともあってか、自分の仕事に満足し、温厚で心やさしい博士とのひそやかな友情も育てつつあった。
しかし、ジキル博士の“助手”であるエドワード・ハイドに出会ってから、彼女の博士に対する態度は変わりつつあった。 当初メアリーはハイドに反発していたが、彼の美貌と情熱的な人となりに感心していた。
エドワード・ハイドは、博士に部屋を貸していたミセス・ファラデーや偶然彼と出会ったダンヴァーズ・カルー卿を殺害し、メアリーはカルー卿の殺害を目撃してしまった。
危険だと思ったメアリーは博士の元から出ようとするが、ハイドに追いかけられる。ハイドがある薬を飲んだ瞬間、ジキル博士の姿になった。
キャスト
[編集]※括弧内は日本語吹替
- メアリー・ライリー - ジュリア・ロバーツ(勝生真沙子)
- ヘンリー・ジキル博士 / エドワード・ハイド氏 - ジョン・マルコヴィッチ(津嘉山正種)
- 執事プール - ジョージ・コール(阪脩)
- メアリーの父 - マイケル・ガンボン(青森伸)
- ケント夫人 - キャシー・スタッフ(藤夏子)
- ファラデー夫人 - グレン・クローズ(宮寺智子)
- ブラッドショー - マイケル・シーン(高木渉)
- アニー - ブロナー・ギャラガー(喜田あゆ美)
- ダンヴァース・カリュー卿 - キアラン・ハインズ(金尾哲夫)
製作
[編集]1989年、プロデューサーの ジョン・ピーターズとピーター・グーバーは『メアリー・ライリー/ジーキル&ハイドの恋』の版権を手に入れ、ワーナー・ブラザースに ロマン・ポランスキーが監督する形で制作しないかと提案した[2] 。 グーバーは1989年末にソニー・ピクチャーズ・エンタテインメントの最高責任者になった際、この小説の映画化企画をソニーの子会社であるトライスター ピクチャーズにうつした[3]。このとき、 ティム・バートン監督、デニーズ・ディ・ノヴィ製作のもと1991年公開予定と、企画の内容が変更された[3]。 クリストファー・ハンプトンはその映画の脚本を書く契約を結び、彼による手直しを受け入れたバートンは、この映画の監督を務める契約を1993年1月に結んだ[2]。 ディ・ノヴィは、『エド・ウッド』の製作を終えた後の1994年1月にこの映画の撮影を開始するつもりだった[4]。 ところが、グーバーが『エド・ウッド』の内容を変更するようバートンに迫ったため、これに怒ったバートンが1993年5月に『ジキル&ハイド』の監督を降板した。バートンの代理として、スティーヴン・フリアーズが監督を務め、解雇されたディ・ノヴィの後継はネッド・タネンになった。
なお、当初トライスターの予定ではジキル博士役を ダニエル・デイ=ルイスが務めることになっていた[3]。
評価
[編集]制作の遅れや主演俳優のトラブルなど、この映画の評判は公開前から悪く、公開後になってもよくはならなかった。また、主演の2人がミスキャストだったという評価もあった。かくして、予算4700万ドルに対し北米興行収入成績は560万ドルという結果に終わり[5][1]、後にメアリー役のジュリア・ロバーツはゴールデンラズベリー賞最低主演女優賞にノミネートされ、フリアーズも最低監督賞にノミネートされた[6]。
脚注
[編集]- ^ a b “Mary Reilly (1996)” (英語). Box Office Mojo. 2010年10月13日閲覧。
- ^ a b Claudia Eller (1993年1月11日). “Fox mulls playing 'Pat' hand; TriStar woos Woo”. Variety 2010年10月30日閲覧。
- ^ a b c Claudia Eller (1993年5月3日). “Burton's off 'Reilly'”. Variety 2010年10月30日閲覧。
- ^ Staff (1993年2月4日). “TriStar Pictures slate for 1993”. Variety 2010年10月30日閲覧。
- ^ Mary Reilly (1996) - Box office / business
- ^ “1996 RAZZIE® Nominees & "Winners"”. 6 July 2011閲覧。