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ジェームズ・フィッツジェラルド (初代リンスター公爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョシュア・レノルズによる肖像画、1753年。

初代リンスター公爵ジェームズ・フィッツジェラルド英語: James FitzGerald, 1st Duke of Leinster PC (Ire)1722年5月29日 - 1773年11月19日)は、アイルランド王国貴族政治家。1744年までオファリー卿儀礼称号を使用した[1]

生涯

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キルデア伯爵夫人(当時)エミリー。ジョシュア・レノルズ画、1753年。

第19代キルデア伯爵ロバート・フィッツジェラルドとメアリー・オブライエン(Mary O'Brien、1692年2月12日 – 1780年2月10日、第3代インチクィン伯爵ウィリアム・オブライエンの娘)の息子として、1722年5月29日に生まれた[1]

1741年から1744年までアサイ選挙区英語版の代表としてアイルランド庶民院議員を務め[2]、1755年2月20日に父が死去するとキルデア伯爵位を継承した[1]。1745年3月19日にアイルランド枢密院英語版の枢密顧問官に任命され、1746年5月22日に就任宣誓を行った[1]

1747年2月7日、エミリア・メアリー・レノックス英語版(1731年10月6日 – 1832年11月18日、第2代リッチモンド公爵チャールズ・レノックスの娘)と結婚[1]、9男9女をもうけた[3]。結婚に伴い、キルデア伯爵は1747年2月21日にグレートブリテン貴族であるバッキンガムシャーにおけるタップローのリンスター子爵に叙され、3月2日にグレートブリテン貴族院議員に就任した[注釈 1][1]

  • ジョージ(1748年1月15日 – 1765年9月26日) - オファリー伯爵の儀礼称号を使用[3]
  • ウィリアム・ロバート(1749年3月13日 – 1804年10月20日) - 第2代リンスター公爵[3]
  • キャロライン・エリザベス・メイベル(1750年6月21日 – 1754年4月13日[3]
  • エミリー・マリア・マーガレット(1752年3月15日 – 1818年4月8日) - 1774年8月20日、初代ベロモント伯爵チャールズ・クートと結婚[3]
  • ヘンリエッタ・キャサリン(1753年12月8日 – 1763年9月10日[3]
  • キャロライン(1755年4月 – 1755年4月[3]
  • チャールズ(1756年6月30日 – 1810年2月18日) - 初代レカール男爵[3]
  • シャーロット(1758年5月29日 – 1836年9月12日) - 初代レイリー女男爵[3]
  • ルイーザ・ブリジット(1760年6月19日 – 1765年1月[3]
  • ヘンリー英語版(1761年7月30日 – 1829年7月8日) - 1791年8月4日、シャーロット・ボイル・ウォルシンガム(後の第20代ド・ルース女男爵)と結婚、子供あり[3]
  • ソフィア・サラ・メアリー(1762年9月26日[3] – 1845年3月21日)
  • エドワード英語版(1763年10月15日 – 1798年6月4日) - 1792年12月28日、ステファニー・キャロライン・アン・シムズ英語版と結婚、子供あり[3]
  • ロバート・スティーブン(1765年1月15日 – 1833年1月2日) - 1792年7月22日、ソフィア・シャーロット・フィールディング(Sophia Charlotte Fielding、1773年 – 1834年9月19日、チャールズ・フィールディングの娘)と結婚、子供あり[3]
  • ジェラルド(1766年3月15日 – 1788年1月[3]
  • オーガスタス・ジョセフ(1767年12月8日 – 1771年12月[3]
  • ファニー・シャーロット・エリザベス(1770年1月28日 – 1775年[3]
  • ルーシー・アン英語版(1771年2月5日 – 1851年) - 1802年7月31日、海軍軍人トマス・フォーリー英語版(1833年1月10日没)と結婚[3]
  • ジョージ・サイモン(1773年4月17日 – 1783年5月[3]

1756年から1757年までアイルランド摂政(Lord Justice[注釈 2])を務め、1761年にキルデア県総督に任命された[1]。また、1758年から1766年までアイルランド兵站部英語版総監を、1760年から1766年まで王立アイルランド砲兵連隊英語版を務め、軍階では1761年に少将に、1770年に中将に昇進した[1]

1761年3月3日にアイルランド貴族であるオファリー伯爵キルデア侯爵に叙され、同年12月10日にキルデア侯爵としてアイルランド貴族院議員に就任した[1]。1766年11月26日に同じくアイルランド貴族であるリンスター公爵に叙され[4]、1768年1月27日にリンスター公爵としてアイルランド貴族院議員に就任した[1]

1770年に枢密顧問官からの辞任を求め、受け入れられた[1]

1773年11月19日にダブリンレンスター・ハウスで死去、クライストチャーチ大聖堂に埋葬された[1]。息子ウィリアム・ロバートが爵位を継承した[1]

注釈

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  1. ^ ただし、タップローはキルデア伯爵家ではなく、キルデア伯爵の母方の叔父にあたる第4代インチクィン伯爵ウィリアム・オブライエンが所有していた[1]
  2. ^ アイルランド総督の不在中に政務を執る官職。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1929). The Complete Peerage, or a history of the House of lords and all its members from the earliest times, volume VII: Husee to Lincolnshire. Vol. 7 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 573–575.
  2. ^ "Biographies of Members of the Irish Parliament 1692-1800". Ulster Historical Foundation (英語). 2020年5月24日閲覧
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s Lodge, Edmund, ed. (1846). The Peerage of the British Empire as at Present Existing (英語) (15th ed.). London: Saunders and Otley. pp. 325–326.
  4. ^ "No. 10676". The London Gazette (英語). 11 November 1766. p. 2.
アイルランド議会
先代
サー・ウォルター・ボローズ準男爵英語版
マーカス・アンソニー・モーガン
庶民院議員(アサイ選挙区英語版選出)
1741年 – 1744年
同職:マーカス・アンソニー・モーガン
次代
ウォルター・ウェルドン
マーカス・アンソニー・モーガン
アイルランドの爵位
爵位創設 リンスター公爵
1766年 – 1773年
次代
ウィリアム・ロバート・フィッツジェラルド
キルデア侯爵
1761年 – 1773年
先代
ロバート・フィッツジェラルド
キルデア伯爵
1744年 – 1773年
グレートブリテンの爵位
爵位創設 リンスター子爵
1747年 – 1773年
次代
ウィリアム・ロバート・フィッツジェラルド