ジェームズ・ドラモンド (第2代パース公爵)
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第2代パース公爵ジェームズ・ドラモンド(英語: James Drummond, 2nd Duke of Perth、1674年頃 – 1720年4月17日)は、ジャコバイト貴族。1715年ジャコバイト蜂起に参加したことで知られる。ドラモンド卿、後にドラモンド侯爵の儀礼称号を使用した[1]。
生涯
[編集]第4代パース伯爵ジェームズ・ドラモンド(ジャコバイト貴族では初代パース公爵)と1人目の妻ジェーン・ダグラス(Jane Douglas、初代ダグラス侯爵ウィリアム・ダグラスの娘)の息子として、1674年頃に生まれた[1]。パリのコレージュ・ド・エコッセで教育を受けた後、1690年にジェームズ2世に同伴してアイルランドに向かった[1]。
1705年にジェームズ老僭王からシッスル勲章を授与された[1]。1715年ジャコバイト蜂起にも参加、シェリフミュアの戦いで騎兵を率いたほか[2]、エディンバラ城に奇襲を仕掛けたが、その結果1716年2月17日に私権剥奪され、同年に老僭王とともにフランスに逃亡した[1]。また、老僭王から主馬頭に任命された[1]。1716年5月11日に父が死去すると、ジャコバイト爵位のパース公爵を継承した[1]。
1706年8月5日、ジーン・ゴードン(Jean Gordon、1773年1月30日没、初代ゴードン公爵ジョージ・ゴードンの娘)と結婚[1]、2男を儲けた[3]。
ジーンは1745年ジャコバイト蜂起を支持したため、1746年2月から11月までエディンバラ城に投獄された[1]。
1720年4月17日、パリで死去、長男ジェームズが爵位を継承した[1]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j Cokayne, George Edward, ed. (1895). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (N to R) (英語). Vol. 6 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 236–237.
- ^ Chisholm, Hugh, ed. (1911). . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 21 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 259.
- ^ "Perth, Earl of (S, 1604/5)". Cracroft's Peerage (英語). 21 December 2003. 2019年8月4日閲覧。
スコットランドの爵位 | ||
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先代 ジェームズ・ドラモンド |
— 名目上 — パース伯爵 1716年 – 1720年 |
次代 ジェームズ・ドラモンド |
— 名目上 — パース公爵 1716年 – 1720年 |