コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ジェームズ・ウォージー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジェームズ・ウォージー
James Worthy
2007年のウォージー
引退
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1961-02-27) 1961年2月27日(63歳)
出身地 ノースカロライナ州ガストニア
身長(現役時) 206cm (6 ft 9 in)
体重(現役時) 102kg (225 lb)
キャリア情報
高校 アッシュブルック高校 (ノースカロライナ州ガストニア)
大学 ノースカロライナ大学
NBAドラフト 1982年 / 1巡目 / 全体1位[1]
プロ選手期間 1982年–1994年
ポジション SF
背番号歴 42, 00
永久欠番 レイカーズ  42 
経歴
1982-1994ロサンゼルス・レイカーズ
受賞歴
NBA通算成績
得点 16,320 (17.6 ppg)
リバウンド 4,708 (5.1 rpg)
アシスト 2,791 (3.0 apg)
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten
バスケットボール殿堂入り選手 (詳細)
カレッジバスケットボール殿堂入り (2006年)
獲得メダル
Men's basketball
the アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
FIBA U19 World Championship
1979 Salvador National team

ジェームズ・エイガー・ウォージー (James Ager Worthy , 1961年2月27日 - ) は、アメリカ合衆国ノースカロライナ州ガストニア出身の元プロバスケットボール選手。「Big Game James」の愛称で親しまれたウォージーは、1980年代におけるロサンゼルス・レイカーズの黄金期のメンバーであり、カリーム・アブドゥル=ジャバーマジック・ジョンソンを中心として「ショータイム」と形容され、NBAファイナルの常連となっていたレイカーズでの、その速攻オフェンスの要の一人として、1985年1987年1988年の3回のチャンピオンシップ優勝を経験した。2003年バスケットボール殿堂入りした。その後はロサンゼルスのKCBSテレビジョンで解説者なども務めた。

経歴

[編集]

カレッジ時代

[編集]

ウォージーはノースカロライナ州のアッシュブルック高校を1979年に卒業した。高校時代からその才能は際立っており、最終学年では平均21.0ポイント、2.6アシストをマークし、1979年のジュニアワールドカップメンバーにもなっている。大学は2年間ノースカロライナ大学に通った。1982年には彼の活躍でNCAAチャンピオンシップまで進み、彼はNCAAファイナル4のMVP、東地区のMVP、11メディアでのオールアメリカチームに選出されている。大学ではゲーム平均14.5ポイント、7.4リバウンド、2.5アシストをマークしている。在学時のエピソードとしては、17点差で勝っていた試合でジミー・ブラックとともに派手なプレーをして、そのことをコーチから厳しく叱責されたことがあり、そのことについてはデイヴィッド・ハルバースタムの著書『ジョーダン』に記されているほか、日本のノンフィクション作家海老沢泰久も著書やコラムで取り上げていた。

NBA時代

[編集]

ウォージーのカレッジ時代の活躍はNBAからも大きな注目を集め、1982年NBAドラフトの目玉となり全体一位指名でロサンゼルス・レイカーズに入団する。当時レイカーズにはカリーム・アブドゥル=ジャバーマジック・ジョンソンがおり、既に西地区の強豪チームとなっていたが、ウォージーの加入はそれに「速攻」の要素を加えることになる。マジック・ジョンソンの芸術的なパスはウォージーによってさらに活かされ、「ショータイム」と称されるようになる。ウォージーの在籍中にレイカーズは実に7回のNBAファイナル進出(1983年1984年1985年1987年1988年1989年1991年)し、3回の優勝(1985年・1987年・1988年)を果す。特に1988年のファイナルでは22.0ポイント、7.4リバウンド、4.4アシストを記録し、第7戦には36ポイント、16リバウンド、10アシストのトリプルダブルを記録してファイナルのMVPに選ばれた。

彼は1994年に引退するまでレイカーズに在籍し続け、引退後はレイカーズのゲームの解説者となった。1996年にはNBAの50周年を記念して選ばれた「NBA偉大な50選手」の一人にも選出され、2003年に殿堂入りした。

2015年9月28日、ロサンゼルス・レイカーズのコーチングスタッフの一員となった[1]

NBA個人成績

[編集]
略称説明
  GP 出場試合数   GS  先発出場試合数  MPG  平均出場時間
 FG%  フィールドゴール成功率  3P%  スリーポイント成功率  FT%  フリースロー成功率
 RPG  平均リバウンド  APG  平均アシスト  SPG  平均スティール
 BPG  平均ブロック  PPG  平均得点  太字  キャリアハイ

レギュラーシーズン

[編集]
シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1982–83 LAL 77 1 25.6 .579 .250 .624 5.2 1.7 1.2 .8 13.4
1983–84 LAL 82* 53 29.5 .556 .000 .759 6.3 2.5 .9 .9 14.5
1984–85 LAL 80 76 33.7 .572 .000 .776 6.4 2.5 1.1 .8 17.6
1985–86 LAL 75 73 32.7 .579 .000 .771 5.2 2.7 1.1 1.0 20.0
1986–87 LAL 82* 82 34.4 .539 .000 .751 5.7 2.8 1.3 1.0 19.4
1987–88 LAL 75 72 35.4 .531 .125 .796 5.0 3.9 1.0 .7 19.7
1988–89 LAL 81 81 36.5 .548 .087 .782 6.0 3.6 1.3 .7 20.5
1989–90 LAL 80 80 37.0 .548 .306 .782 6.0 3.6 1.2 .6 21.1
1990–91 LAL 78 74 38.6 .492 .289 .797 4.6 3.5 1.3 .4 21.4
1991–92 LAL 54 54 39.0 .447 .209 .814 5.6 4.7 1.4 .4 19.9
1992–93 LAL 82 69 28.8 .447 .270 .810 3.0 3.4 1.1 .3 14.9
1993–94 LAL 80 2 20.0 .406 .288 .741 2.3 1.9 .6 .2 10.2
キャリア 926 717 32.4 .521 .241 .769 5.1 3.0 1.1 .7 17.6

プレーオフ

[編集]
シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1984 LAL 21 0 33.7 .599 .500 .609 5.0 2.7 1.3 .5 17.7
1985 LAL 19 19 32.9 .622 .500 .676 5.1 2.2 .9 .7 21.5
1986 LAL 14 14 38.5 .558 .000 .681 4.6 3.2 1.1 .7 19.6
1987 LAL 18 18 37.8 .591 .000 .753 5.6 3.5 1.6 1.2 23.6
1988 LAL 24 24 37.3 .523 .111 .758 5.8 4.4 1.4 .8 21.1
1989 LAL 15 15 40.0 .567 .375 .788 6.7 2.8 1.2 1.1 24.8
1990 LAL 9 9 40.7 .497 .250 .837 5.6 3.0 1.6 .3 24.2
1991 LAL 18 18 40.7 .465 .167 .736 4.1 3.9 1.1 .1 21.1
1993 LAL 5 0 29.6 .372 .250 .600 3.4 2.6 1.0 .0 13.8
キャリア 143 117 37.0 .544 .209 .727 5.2 3.2 1.2 .7 21.1

成績および受賞歴

[編集]

通算成績

[編集]

得点、リバウンド、アシストの成績は下記の通りである。[2]

レギュラーシーズン (12シーズン) プレーオフ (9シーズン)
926試合総計 ゲーム平均 40分平均 143試合総計 ゲーム平均
ポイント数 16,320 17.6 21.8 3,022 21.1
リバウンド数 4,708 5.1 6.3 747 5.2
アシスト数 2,791 3.0 3.7 463 3.2
ブロック 624 0.7 0.8 96 0.7
スティール 1,041 1.1 1.4 177 1.2

主な受賞トピックス

[編集]
  1. オールルーキー1stチーム:1983
  2. オールスターゲーム出場:7回 (1986-1992)
  3. オール3rdチーム選出:2回 (1990, 1991)
  4. NBAファイナルMVP:1回 (1988)
  5. NBAベスト50選手:1996年

エピソード

[編集]
  • 謙虚で温和な人格者であり、ファイナルMVPに選出されたときも「私ならマジックに投票したよ」と自身よりもまずチームメイトを讃えた。
  • ダンクシュートのフォームが自由の女神のポーズに似ていた為「リバティー・ダンク」と呼ばれた。
  • 新スタートレック シーズン7 157話「謎のエイリアン部隊(後編)」でクリンゴン人コラルを演じている。
  • ニューバランスのバッシュを履いていた。

関連項目

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ Lakes Hire James Worthy to Work with Coaching Staff”. NBA.com (2015年9月28日). 2015年9月29日閲覧。
  2. ^ Basketball-reference.com James Worthy Statisticsより引用。March 18, 2007

外部リンク

[編集]