コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ハル・グリア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ハル・グリア
Hal Greer
1969年のグリア
故人
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 1936年6月26日
没年月日 (2018-04-14) 2018年4月14日(81歳没)
出身地 ウェストバージニア州ハンティントン
死没地 アリゾナ州
身長(現役時) 188cm (6 ft 2 in)
体重(現役時) 79kg (174 lb)
キャリア情報
高校 ダグラス高等学校 (ウェストバージニア州ハンティントン)
大学 マーシャル大学
NBAドラフト 1958年 (英語版) / 2巡目 / 全体13位[1]
プロ選手期間 1958年–1972年
ポジション SG / PG
背番号歴 15
永久欠番 シクサーズ  15 
経歴
19581973シラキューズ・ナショナルズ / フィラデルフィア・76ers
受賞歴
通算成績
得点数 21,586 (19.2 ppg)
リバウンド数 5,665 (5.0 rpg)
アシスト数 4,540 (4.0 apg)
Stats Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten
バスケットボール殿堂入り選手 (詳細)
カレッジバスケットボール殿堂入り (2006年)

ハロルド・エベレット・"ハル"・グリア (Harold Everett "Hal" Greer, 1936年6月26日 - 2018年4月14日) は、アメリカ合衆国ウェストバージニア州ハンティントン出身の元プロバスケットボール選手である。プロバスケットリーグNBAフィラデルフィア・セブンティシクサーズが前身のシラキューズ・ナショナルズの頃よりセブンティシクサーズひと筋で活躍した。

身体が小さいながらシューティングガードとしてアウトサイドからのジャンプシュートは高い成功率を誇り、ゴール下を支配したウィルト・チェンバレンとともにセブンティシクサーズの1967年の優勝の原動力となった。1982年バスケットボール殿堂入りした。

経歴

[編集]

カレッジ時代

[編集]

ハルはウェストバージニア州で生まれ、地元のダグラス高校に入学、バスケットを始める。大学も生まれ故郷のハンティントンのマーシャル大学に入学し、その得点力でチームを牽引し、1958年にはカンファレンスのMVPに選出される。在学中の3年間で計71ゲームに出場し、トータル得点1,377ポイント(ゲーム平均19.4ポイント)・トータルリバウンド765(ゲーム平均10.8リバウンド)・フィールドゴール成功率55%という成績を記録している。[1]

NBAプレーヤー時代

[編集]

ハルはカレッジ卒業後の1958年NBAドラフト2巡目6位でシラキューズ・ナショナルズ(76ers)にピックアップされ入団する。彼が入団した当時ナショナルズは強豪チームでありプレーオフの常連でもあった。そのため彼は目立った活躍は出来ず、ルーキーシーズンは、ゲーム平均11.1ポイント・2.9リバウンド・1.5アシストを記録した[1]。チームはプレーオフに進出するが、1955年の優勝以来NBAファイナルにまではなかなか届かなかった。

その後、1963年にチームが本拠地をフィラデルフィアに移し、名称もセブンティシクサーズ (76ers) と改める。1965年にはトレードでウィルト・チェンバレンを獲得。大型センターの加入でハルの持ち味がさらに引き出され、1966年には55勝をあげて地区優勝を果たす。ハルはゲーム平均22.7ポイント・5.9リバウンド・4.8アシストを記録した。翌1967年にはさらに躍進し、68勝をあげる。彼はこの年ゲーム平均22.1ポイント・5.3リバウンド・3.8アシストを記録して地区優勝に貢献した。チームも念願のNBAファイナルを制覇しハルはリングを手に入れた。1968年にも62勝をあげて地区優勝し、ハルもキャリアハイとなるゲーム平均24.1ポイント・5.4リバウンド・4.5アシストを記録した。またこの年にはNBAオールスターゲームの最優秀選手 (MVP) にも選出された。[1]

その後も3年連続でプレーオフ進出は果たすが、ハルの衰えとともにチームも衰退し、ハルは1973年に76ersひと筋15年間の選手生活から引退した。引退後、1982年に殿堂入りし、また1996年にはNBAの50周年を記念して選ばれた「NBA偉大な50選手」の一人にも選出された。

個人成績

[編集]
略称説明
  GP 出場試合数   GS  先発出場試合数  MPG  平均出場時間
 FG%  フィールドゴール成功率  3P%  スリーポイント成功率  FT%  フリースロー成功率
 RPG  平均リバウンド  APG  平均アシスト  SPG  平均スティール
 BPG  平均ブロック  PPG  平均得点  太字  キャリアハイ
  優勝シーズン  

レギュラーシーズン

[編集]
シーズン チーム GP MPG FG% FT% RPG APG PPG
1958–59 SYR 68 23.9 .454 .778 2.9 1.5 11.1
1959–60 70 28.3 .476 .783 4.3 2.7 13.2
1960–61 79 35.0 .451 .774 5.8 3.8 19.6
1961–62 71 38.1 .447 .819 7.4 4.4 22.8
1962–63 80 32.9 .464 .834 5.7 3.4 19.5
1963–64 PHI 80 39.5 .444 .829 6.1 4.7 23.3
1964–65 70 37.1 .433 .811 5.1 4.5 20.2
1965–66 80 41.6 .445 .804 5.9 4.8 22.7
1966–67 80 38.6 .459 .788 5.3 3.8 22.1
1967–68 82 39.8 .478 .769 5.4 4.5 24.1
1968–69 82 40.4 .459 .796 5.3 5.0 23.1
1969–70 80 37.8 .455 .815 4.7 5.1 22.0
1970–71 81 37.8 .431 .805 4.5 4.6 18.6
1971–72 81 29.8 .449 .774 3.3 3.9 11.8
1972–73 38 22.3 .392 .821 2.8 2.9 5.6
通算 1122 35.5 .452 .801 5.0 4.0 19.2
オールスター 10 20.7 .461 .703 4.5 2.8 12.0

プレーオフ

[編集]
年度 チーム GP MPG FG% FT% RPG APG PPG
1959 SYR 9 30.8 .419 .813 5.2 2.2 11.6
1960 3 28.0 .512 .750 4.7 3.3 15.7
1961 8 29.0 .387 .825 4.1 2.4 14.4
1962 1 5.0 0.0 0.0 0.0
1963 5 42.8 .506 .829 5.4 4.2 23.4
1964 PHI 5 42.2 .389 .846 5.6 6.0 21.4
1965 11 45.9 .455 .793 7.4 5.0 24.6
1966 5 45.2 .352 .783 7.2 4.2 16.4
1967 15 45.9 .429 .797 5.9 5.3 27.7
1968 13 42.5 .432 .856 6.1 4.2 25.8
1969 5 40.8 .321 .778 6.0 4.6 16.0
1970 5 35.6 .446 .846 3.4 5.4 15.4
1971 7 37.9 .438 .750 3.6 4.7 17.9
通算 92 39.6 .425 .812 5.5 4.3 20.4

通算成績

[編集]

得点、リバウンド、アシストの成績は下記の通りである。[1]

レギュラーシーズン (15シーズン) プレーオフ (13シーズン)
1,122試合総計 ゲーム平均 40分平均 92試合総計 ゲーム平均
ポイント数 21,586 19.2 21.7 1,876 20.4
リバウンド数 5,665 5.0 5.7 505 5.5
アシスト数 4,540 4.0 4.6 393 4.3
  1. セブンティシクサーズ通算得点フランチャイズ記録:21,586ポイント
  2. セブンティシクサーズ出場試合数フランチャイズ記録:1,122ゲーム

関連項目

[編集]

脚注

[編集]

外部リンク

[編集]