ジェイペグ
ジェイペグ | |
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品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 2003年8月26日(21歳) |
父 | Camden Park |
母 | Laptop Lady |
母の父 | Al Mufti |
生国 | 南アフリカ共和国 |
生産者 | High Season Stud |
馬主 |
Messrs N.M.Shirtliff、 E.A,Braun、 P.S.Loomes & S.P.Marcus |
調教師 |
B.マーカス(南アフリカ) →H.ブラウン(南アフリカ) |
競走成績 | |
生涯成績 | 23戦11勝 |
獲得賞金 | 159万Sドル(シンガポール) |
ジェイペグ (Jay Peg) は南アフリカ共和国の競走馬である。
経歴
[編集]2006年(3歳)
[編集]5月2日にケニルワース競馬場で競走馬デビューを迎え、勝利を挙げた。次の競走も勝利し、その次は重賞初挑戦となるランガーマンステークス (G3) に出走したが5着だった。その後は3戦して2勝、2着1回となり迎えたケープクラシック (G3) を制して重賞競走初勝利を挙げた。さらに続くスランゴール・カップ (G2) も制して重賞競走2連勝を達成して2歳を終えた。
2007年(4歳)
[編集]この年初戦のケープアーガスギニーズを制してG1競走初勝利を挙げると、続くケープダービーも制してG1競走2勝目を挙げた。しかし次のKZNギニー (G2) で2着となり連勝が5でストップとなった。その後はG1戦線を走り、ゴールドチャレンジで5着、ダーバンジュライでは8着という結果に終わった。
2008年(5歳)
[編集]この年はドバイに遠征し、ドバイ遠征初戦のアルラシディヤ (G3) では6着、続くグリーンチューンステークス(格付けなし)では3着、そしてジェベルハッタ (G2) で2着となった。なおこの3戦はライアン・ムーアが騎乗していた。そして迎えたドバイデューティーフリーでは、KZNギニー以来6戦ぶりにアントン・マーカス(かつての管理調教師バジル・マーカスの実弟)を鞍上に迎え、2着となったダルジナに半馬身先着し、G1競走3勝目を挙げた。このときの勝ちタイムの1分46秒20はレコードタイムとなった。次はシンガポールに遠征し、シンガポール航空国際カップへ1番人気に支持されて出走した。レースでは道中2番手を追走し、最後の直線手前で先頭に立つと、そのまま後続の追撃を抑えてG1競走2連勝でG1競走通算4勝目を挙げた。
2009年(6歳)
[編集]この年初戦はドバイ・ナドアルシバ競馬場のジャガーXFTに出走したが、4着に終わった。続くジェベルハッタ (G2) では2年連続で2着となった。そして連覇がかかったドバイデューティーフリーに出走したが、見せ場がなく11着と大敗した。その後、前年と同様にシンガポール航空国際カップに出走したが、ここでも12頭立ての最下位に敗れた。このレースを最後に競走生活を引退し、Klawervlei Studにて種牡馬生活に入ることが発表された[1]。
血統表
[編集]ジェイペグの血統シアトルスルー系 / Lassie Dear4×3=18.75%、Northern Dancer4×5=9.38%、Bold Ruler5×5=6.25% | (血統表の出典) | |||
父 Camden Park 1998 鹿毛 |
父の父 A.P.Indy1989 黒鹿毛 |
Seattle Slew | Bold Reasoning | |
My Charmer | ||||
Weekend Surprise | Secretariat | |||
Lassie Dear | ||||
父の母 Danzig Island1990 黒鹿毛 |
Danzig | Northern Dancer | ||
Pas de Nom | ||||
Angel Island | Cougar | |||
Who's to Know | ||||
母 Laptop Lady 1996 黒鹿毛 |
Al Mufti 1985 黒鹿毛 |
Roberto | Hail to Reason | |
Bramalea | ||||
Lassie Dear | Buckpasser | |||
Gay Missile | ||||
母の母 Ladies Game1990 黒鹿毛 |
Elliodor | Lyphard | ||
Ellida | ||||
Leucothea | Cornish Prince | |||
Sally Lou F-No.A1 |
脚注
[編集]外部リンク
[編集]- 競走馬成績と情報 netkeiba、JBISサーチ、Racing Post