シュテルン音楽院
シュテルン音楽院(ドイツ語: Stern'sches Konservatorium)は、ベルリンに存在した音楽学校。教員や学生には多くの有名音楽家がいた。現在はベルリン芸術大学の一部になっている。
歴史
[編集]音楽院の始まりは、ユリウス・シュテルン、テオドール・クラク、アドルフ・ベルンハルト・マルクスの3人が1850年に創設したベルリン音楽学校(Berliner Musikschule)であった。クラクは1855年に彫刻と三次元立体芸術のアカデミーを新設するため、音楽院から身を引いた。さらに、1856年にマルクスが引退するとシュテルン一家の支配が強まり、シュテルンの名を冠するようになる。1894年に学長を引き継いだグスタフ・ホーレンダー[注 1]は、音楽院の場所をベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートホールがあったベルリン、クロイツベルク区[注 2]のベルンブルガー通り(Bernburger Straße)へと移した。
ナチスの強制的同一化に伴い、シュテルン音楽院は1936年に『帝国首都ベルリン音楽院 Konservatorium der Reichshauptstadt Berlin』に改称してナチス・ドイツの管理下に置かれた。ホーレンダーの後継者らは強制排除され、『ホーレンダー私立ユダヤ音楽学校』を運営したが、1941年にはホロコーストの犠牲となった。
1945年に第二次世界大戦が終結すると、音楽院は再び改名されて『都市音楽院 Städtisches Konservatorium』となり、東ベルリンに置かれた。これは1966年に公立学校の『音楽高等アカデミー Akademische Hochschule für Musik』と合併して『州立音楽・演劇芸術学校 Staatliche Hochschule für Musik und Darstellende Kunst』となり、2001年からはベルリン芸術大学となって現在に至る。
学長
[編集]- 1850–1883: ユリウス・シュテルン
- 1883–1888: ロベルト・ラデッケ
- 1883-1894: イェニー・メイヤー
- 1894-1915: グスタフ・ホーレンダー
- 1915-1930: アレクサンダー・フォン・フィーリッツ
- 1930-1933: パウル・グレーナー
- 1933-1935: ジークフリート・エベルハルト
帝国首都ベルリン音楽院
- 1936-1945: ブルーノ・キッテル
都市音楽院
- 1946-1949: ハインツ・ティーセン
- 1950-1960: ハンス・ヨアヒム・モーザー
教授
[編集]- 1854-1864 ハンス・フォン・ビューロー
- 1855- ?: フェルディナント・ラウプ
- 1864-1871: ルドルフ・ラデッケ
- 1866-1869: フリードリヒ・キール
- 1867-1878: エドゥアルト・フランク
- 1874-1877: アルノルト・クルーク
- 1890-1897: フリードリヒ・ゲルンスハイム
- 1897-1903: ハンス・プフィッツナー
- 1884-1906(?): ゲオルク・フォン・ペーテルセン(Georg von Petersenn)
- mind. 1896-1911: マルティン・クラウゼ
- 1897-1904: エルンスト・イェドリツカ(? Ernst Jedliczka)
- 1898-1905: エルンスト・エドゥアルト・タウベルト(? Ernst Eduard Taubert)
- 1906-1915: レオ・ポートノフ
- 1900-1920: エンゲルベルト・フンパーディンク
- 1902-1903 と 1911: アルノルト・シェーンベルク
- 1904-1924: アルトゥール・ヴィルナー
- mind. 1919-1929: ルドルフ・マリア・ブライタウプト
- 1934-1940, 1962-1966: コンラート・ヴェルキ
- 1935-1960: コンラート・ハンゼン
- ヘルベルト・アーレンドルフ(Herbert Ahlendorf)
- ヴィルヘルム・クラッテ(Wilhelm Klatte)
- ジェームス・クヴァスト
- マックス・ユリウス・レーヴェンガルト
- パウル・ルツェンコ(? Paul Lutzenko)
- ゼルマ・ニックラス=ケンプナー
- グスタフ・ポール(Gustav Pohl)
- ニコラウス・ロートミュール(Nikolaus Rothmühl)
- ヴィクトール・ホーレンダー
- レオポルト・シュミット(Leopold Schmidt)
- ロベルト・レーシュ(Robert Lösch)
- 1992-2012: ダフィト・フリートマン(David Friedman)
著名な卒業生
[編集]- 1860-1862: ヘルマン・ゲッツ
- 1884- ? : ブルーノ・ワルター
- 1884-1885: ゲオルク・ヴィルヘルム・ラウヒェネッカー
- 1892-1894: アルベルト・ネポムセーノ
- 1896: エトヴィン・フィッシャー
- 1901-1903: カール・シューリヒト
- 1902-1903: メリッタ・レヴィン(Melitta Lewin)
- 1903-1907: エミール・ホーニヒベルガー(Emil Honigberger)
- 1903-1906: チャールズ・トムリンソン・グリフス
- 1905: オットー・クレンペラー
- 1906-1908: マヌエル・ポンセ
- 1906-1909: クララ・アブラモヴィツ(Clara Abramowitz ソプラノ)
- 1912-1917: メータ・ザイネマイヤー
- 191?-191?: ミーシャ・ポートノフ(Mischa Portnoff)
- 1913-1915: マルガレーテ・クレーマー=ベルガウ(Margarete Krämer-Bergau)
- 1913-1918: クラウディオ・アラウ
- 1914-1924: フレデリック・ロウ
- 1915-1920: リジー・フィッシャー(? Lisy Fischer ピアニスト)
- 1924-1926: マルク・ラヴリー
- 1924-1929: ケース・ファン・バーレン
- 1924-1929: カール・リステンパルト
- 1930-1935: ルート・シェーンタール
- 1946-1952: ハンス=ヴィルフリット・シュルツェ=マルクラフ(Hans-Wilfrid Schulze-Margraf)
- 1956-1965: クリスティアン・シュミット Christian Schmidt
- ? -1936: ハイム・アレクサンダー(Haim Alexander)
- ロベルト・クリスティアン・バッハマン(Robert Christian Bachmann)
- ? -1933: マンフレッド・ブコフツァー
- ジークフリート・エベルハルト(Siegfried Eberhardt ヴァイオリニスト)
- モーリッツ・モシュコフスキ
- ヨーゼフ・プラウト
- ハインリヒ・ライマース(Heinrich Reimers ピアニスト)
- ヴィリー・ゾンマーフェルト
脚注
[編集]- ^ 訳注:1855年生まれ、ドイツのヴァイオリニスト、作曲家。映画監督のフリードリヒ・ホーレンダーのおじ。
- ^ 訳注:現在は合併してフリードリヒスハイン=クロイツベルク区となっている。
参考文献
[編集]
外部リンク
[編集]- The Marc Lavry Heritage Foundation
- Edition Luisenstadt Berlin, Stand: 07/10/2009
- Musikschule modern. Das Julius-Stern-Institut feiert 160. Geburtstag. „Jüdische Allgemeine“ 18. November 2010 – von Katharina Schmidt-Hirschfelder
- Julius-Stern-Institut für musikalische Nachwuchsförderung. Lexikon: Charlottenburg-Wilmersdorf von A bis Z