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シャーロット・オブ・メクレンバーグ=ストレリッツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シャーロット
Charlotte
イギリス王妃
在位 1761年9月8日 - 1818年11月17日
戴冠式 1761年9月22日
別称号 アイルランド王妃
ハノーファー選帝侯
ハノーファー王妃

全名 Sophia Charlotte
ソフィア・シャーロット
出生 1744年5月19日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国メクレンブルク=シュトレーリッツミロー
死去 (1818-11-17) 1818年11月17日(74歳没)
イギリスの旗 イギリス
イングランドの旗 イングランドキューキュー宮殿
埋葬 1818年12月2日
イギリスの旗 イギリス
イングランドの旗 イングランドウィンザーウィンザー城聖ジョージ礼拝堂
配偶者 ジョージ3世
(1761年結婚)
子女
家名 メクレンブルク=シュトレーリッツ家
父親 カール・ルートヴィヒ・フォン・メクレンブルク=シュトレーリッツ
母親 エリーザベト・アルベルティーネ・フォン・ザクセン=ヒルトブルクハウゼン
宗教 プロテスタント
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ソフィア・シャーロット・オブ・メクレンバーグ=ストレリッツ(Sophia Charlotte of Mecklenburg-Strelitz, 1744年5月19日 - 1818年11月17日[1])は、イギリス国王ジョージ3世の王妃。

メクレンブルク=シュトレーリッツ公子カール・ルートヴィヒの末娘で、ドイツ語名はゾフィー・シャルロッテ・ツー・メクレンブルク=シュトレーリッツSophie Charlotte zu Mecklenburg-Strelitz)。

兄にメクレンブルク=シュトレーリッツ公(のち大公)アドルフ・フリードリヒ4世カール2世がいる。

生涯

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シャーロット王妃の肖像画(1779年、ジョシュア・レノルズ画)

ジョージ3世は母后オーガスタ首相ビュート伯から王妃選びで度重なる干渉を受けていたが、これを嫌った王は独自に侍従武官グレアム大佐をドイツへ派遣し、王妃にふさわしい女性を見つけてくるよう命じた。グレアム大佐が推薦したのが、当時17歳の公女シャルロッテであった。

1761年9月8日に挙式、その14日後の9月22日に戴冠式を行った。ジョージ3世は王妃とともに戴冠するつもりで、即位後1年あまりも戴冠式を延期していたという。

王との家庭生活は円満で、ジョージ4世ヨーク公フレデリックウィリアム4世ケント公エドワードヴィクトリア女王の父)、ハノーファーエルンスト・アウグストら9男6女の母となり、夫の女性関係では苦労することも全くなかった。政治に口を出すことなく、宮廷行事でも出しゃばることがなかった。しかし、子供たちの不品行には夫とともに心の安まる時がなかった。たびたび精神異常を引き起こした夫を献身的に介護し、ロンドンを出てウィンザー城で共に暮らした。

ヨハン・クリスティアン・バッハ(有名な大バッハの息子の一人)、モーツァルトの後援者であったことが知られている。また、ロンドンキューガーデンの設立にも協力したほど植物を愛していた。このほか、ウェッジウッド陶磁器を購入し、「クイーンズウェア」の称号を許可している。

1818年11月17日に死去、74歳没。ウィンザー城内のセント・ジョージズ・チャペルに埋葬された。

子女

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血筋

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ワシントン・ポストの報道によると、アメリカ合衆国の個人歴史家であるマリオ・デ・バルデス・イ・ココム(Mario de Valdes y Cocom)が「シャーロットが黒人の血を引いていた」と主張している[2]。『ボストン・グローブ』によると、バッキンガム宮殿スポークスパーソンであるデイヴィッド・バック(David Buck)は「これは何年も噂されたことです。もう歴史的な話であり、率直に申し上げますと、そんなことよりはるかに重要なことを話すべきでしょう。」と返答している[3]

大衆の間では有名な説であるものの、歴史学界ではすでに否定されている[4][5][6][7]。バルデスの主張はシャーロットの孫の医者であるクリスティアン・フリードリヒ・フォン・シュトックマー(1816年に渡英)による描写を根拠としているが、シュトックマー以外でシャーロットの存命中にアフリカ人と似た見た目や黒人の血を引いていると主張されたことはない。アラン・ラムゼーによる肖像画も主張の根拠とされたが、同じような肖像画は同時代に多数存在し、肖像画も一般的には見た目の証拠として扱うべきではない[6]。このほか、バルデスの主張における黒人の先祖は13世紀のマドラガーナ(ポルトガル王アフォンソ3世の妾)であるが、中世における「ムーア」(Moor)は種族ではなく宗教による分類であり[8][9]、宗教においてもイスラム教徒ではなくモサラベ(キリスト教徒)である可能性が高い[10][11][12][13]。遺伝学においても15代前の先祖では影響が限りなく薄いといえる[5][7]

歴史学者のアンドルー・ロバーツ英語版は黒人の血を引く主張を「まったくばかげている」(utter rubbish)と評し、文化卑屈英語版の要素を含む主張であるため歴史学者があまり表立って評論していないだけだと述べている[4]

登場する作品

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テレビドラマ

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脚注

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  1. ^ Charlotte queen of England Encyclopædia Britannica
  2. ^ メーガン妃は初の「黒人のプリンセス」? | いえいえ、英王室には昔から黒人の血が流れています。”. クーリエ・ジャポン (2017年12月2日). 2020年4月27日閲覧。
  3. ^ Deneen Brown, "Prince Harry and Meghan Markle wedding: Will the bride really be our first mixed-race royal?" The Independent, 28 November 2017.
  4. ^ a b Linge, Mary (13 November 2021). "Real-life queen of 'Bridgerton' wasn't biracial – but she was a badass". New York Post (英語). 2022年3月15日閲覧
  5. ^ a b Hilton, Lisa (28 January 2020). "The "mulatto" Queen Lisa Hilton Debunks a Growing Myth About a Monarch's Consort". TheCritic.co.uk (英語). TheCritic. 2021年3月7日閲覧
  6. ^ a b Jill Sudbury (20 September 2018). "Royalty, Race and the Curious Case of Queen Charlotte". Acacia Tree Books (英語). 2020年9月22日閲覧
  7. ^ a b Stuart Jeffries, "Was this Britain's first black queen?" The Guardian, 12 March 2009.
  8. ^ Blackmore, Josiah (2009). Moorings: Portuguese Expansion and the Writing of Africa. U of Minnesota Press. p. xvi, 18. ISBN 978-0-8166-4832-0.
  9. ^ Menocal, María Rosa (2002). Ornament of the World: How Muslims, Jews and Christians Created a Culture of Tolerance in Medieval Spain. Little, Brown, & Co. ISBN 0-316-16871-8, p. 241
  10. ^ "Primeira parte das Chronicas dos reis de Portvgal". purl.pt (英語). 2019年9月14日閲覧
  11. ^ Braamcamp Freire, Anselmo (14 September 1921). "Brasões da Sala de Sintra" (英語). Coimbra : Imprensa da Universidade. Internet Archiveより2019年9月14日閲覧
  12. ^ Felgueiras Gayo & Carvalhos de Basto, Nobiliário das Famílias de Portugal, Braga, 1989
  13. ^ Pizarro, José Augusto de Sotto Mayor, Linhagens Medievais Portuguesas, 3 vols., Porto, Universidade Moderna, 1999.

参考文献

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関連項目

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先代
キャロライン・オブ・アーンズバック
グレートブリテン王妃
アイルランド王妃
1761年 - 1800年
次代
-
先代
グレートブリテン及びアイルランド連合王国王妃
1801年 - 1818年
次代
キャロライン・オブ・ブランズウィック