フリードリヒ1世 (ヴュルテンベルク王)
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フリードリヒ1世 Friedrich I. | |
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ヴュルテンベルク国王 | |
フリードリヒ1世(ゼーレ画) | |
在位 |
ヴュルテンベルク公: 1797年12月23日 - 1803年2月25日 ヴュルテンベルク選帝侯: 1803年2月25日 - 1805年12月26日 ヴュルテンベルク王: 1805年12月26日 - 1816年10月30日 |
別号 |
ヴュルテンベルク公フリードリヒ3世 ヴュルテンベルク選帝侯 |
全名 | フリードリヒ・ヴィルヘルム・カール・フォン・ヴュルテンベルク |
出生 |
1754年11月6日 プロイセン王国、トレプトウ |
死去 |
1816年10月30日(61歳没) ヴュルテンベルク王国、シュトゥットガルト |
埋葬 | ヴュルテンベルク王国、ルートヴィヒスブルク、ルートヴィヒスブルク宮殿 |
配偶者 | アウグステ・カロリーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル |
シャルロッテ・アウグステ・フォン・グロスブリタニエン | |
子女 |
ヴィルヘルム1世 カタリーナ ゾフィア パウル |
家名 | ヴュルテンベルク家 |
父親 | フリードリヒ2世オイゲン |
母親 | フリーデリケ・ドロテア・ゾフィア・フォン・ブランデンブルク=シュヴェート |
フリードリヒ1世(Friedrich I. Wilhelm Karl von Württemberg、1754年11月6日 - 1816年10月30日)は、ヴュルテンベルク王国初代国王(在位:1805年 - 1816年)。ヴュルテンベルク公フリードリヒ2世オイゲンとその妃フリーデリケ・ドロテア・ゾフィアの長男としてリガ近郊で生まれた。
家族
[編集]1780年10月15日、アウグステ(ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公カール・ヴィルヘルム・フェルディナントの長女、1764年 - 1788年)と結婚。4子をもうけた。
- ヴィルヘルム1世(1781年 - 1864年)
- カタリーナ・フリーデリケ(1783年 - 1835年) - ジェローム・ボナパルトの妻
- アウグスタ・ゾフィア(1783年 - 1784年)
- パウル(1785年 - 1852年) - ザクセン=ヒルトブルクハウゼン公女シャルロッテと結婚。後のヴュルテンベルク王ヴィルヘルム2世の祖父にあたる
アウグステと死別後、1797年にイギリス王女シャーロットと再婚した。アウグステの母オーガスタ・オブ・ウェールズとシャーロットの父ジョージ3世は姉弟であり、2人の妃たちは従姉妹同士であった。子供はなかった。
フリードリヒ1世 (ヴュルテンベルク王)
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ドイツの君主 | ||
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先代 フリードリヒ2世オイゲン |
ヴュルテンベルク公 1797年12月23日 – 1803年2月25日 |
空位 ヴュルテンベルク選帝侯国への昇格による称号の廃止 次代の在位者 ―
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空位 ヴュルテンベルク選帝侯国への昇格による称号の新設 最後の在位者 ―
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ヴュルテンベルク選帝侯 1803年2月25日 – 1805年12月26日 |
空位 ヴュルテンベルク王国への昇格による称号の廃止 次代の在位者 ―
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空位 ヴュルテンベルク王国への昇格による称号の新設 最後の在位者 ―
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ヴュルテンベルク王 1805年12月26日 – 1816年10月30日 |
次代 ヴィルヘルム1世 |