シャルル3世 (エルブフ公)
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シャルル3世・ド・ロレーヌ Charles III de Lorraine | |
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エルブフ公 | |
在位 | 1657年 - 1692年 |
出生 |
1620年 フランス王国、パリ |
死去 |
1692年5月4日 フランス王国、パリ |
配偶者 | アンヌ・エリザベート・ド・ラノワ |
エリザベート・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ | |
フランソワーズ・ド・モントール・ド・ナヴァイユ | |
子女 | 一覧参照 |
家名 | ギーズ家 |
父親 | エルブフ公シャルル2世 |
母親 | カトリーヌ・アンリエット・ド・ブルボン |
シャルル3世・ド・ロレーヌ(Charles III de Lorraine, duc d'Elbeuf, 1620年 - 1692年5月4日)は、フランスの貴族。エルブフ公爵。
生涯
[編集]エルブフ公シャルル2世とその妻カトリーヌ・アンリエット・ド・ブルボンの間の長男として生まれた[1]。母方の祖父母はフランス王アンリ4世とガブリエル・デストレである。アルクール伯フランソワ・ルイ、リルボンヌ公フランソワ・マリーは弟。
三十年戦争に従軍し、叔父のアルクール伯アンリの麾下でイタリア(1641年)とピカルディー(1642年)で戦った後、コンデ公ルイ2世(大コンデ)の部下としてロクロワの戦い(1643年)、ティオンヴィルの戦い、グラヴリーヌ包囲戦(1644年)、ネルトリンゲンの戦い(1645年)に参加している。1657年にエルブフ公爵位を継承、1661年にルイ14世の親政が始まるとすぐに、以前父が務めていたピカルディーおよびアルトワの知事に任命された。
子女
[編集]1648年3月7日にアンヌ・エリザベート・ド・ラノワ(1626年 - 1654年)と最初の結婚をし、間に1男1女の2人の子女をもうけた。
- アンヌ・エリザベート(1649年 - 1714年) - 1669年、ヴォーデモン公シャルル・アンリと結婚
- シャルル(1650年 - 1690年)
1656年5月20日にブイヨン公フレデリック・モーリスの娘エリザベート(1635年 - 1680年)と再婚し、間に4男2女の6人の子女をもうけた。
- アンリ・フレデリック(1657年 - 1666年)
- マリー・エレオノール(1658年 - 1731年) - サン・ジャック女子修道院長
- マリー・フランソワーズ(1659年 - ?) - サン・ジェルメーヌ修道院長
- アンリ(1661年 - 1748年) - エルブフ公
- ルイ(1662年 - 1693年) - オルカン修道院長
- エマニュエル・モーリス(1677年 - 1763年) - エルブフ公
1684年8月25日にフランソワーズ・ド・モントール・ド・ナヴァイユ(1653年 - 1717年)と3度目の結婚をし、間に2人の娘をもうけた。
- シュザンヌ・アンリエット(1686年 - 1710年) - 1704年、マントヴァ公フェルディナンド・カルロと結婚
- ルイーズ・アンヌ・ラドゴンド(1689年 - 1762年) - サン・サーンス女子修道院長
脚注
[編集]- ^ van de Pas, Leo. “Charles III de Lorraine, Duke of Elbeuf”. Genealogics .org. 2010年3月1日閲覧。
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