シャルル・ベルジーク・オランド・ド・ラ・トレモイユ
シャルル(3世)・ベルジーク・オランド・ド・ラ・トレモイユ(Charles (III) Belgique Hollande de La Trémoille, 1655年5月 デン・ハーグ - 1709年6月1日 パリ)は、ブルボン朝時代フランスの貴族。同輩公。爵位はトゥアール公爵、ラ・トレモイユ公爵、タルモン公、ターラント公、ラヴァル伯、モンフォール伯、ギーヌ伯、ブノン伯等。
トゥアール公アンリ1世の嫡男ターラント公アンリ・シャルルと、ヘッセン=カッセル方伯ヴィルヘルム5世の娘エミーリエの間の第2子・長男として、両親の亡命先のオランダで出生。両親と同じカルヴァン派(ユグノー)として育ったが、1668年帰国してトゥアール公爵領の領主を継いだ父がカトリックに改宗すると、これに従って改宗。ラヴァルに送られてサン=トゥガル教会の参事会員だったヴィユブール氏(Sieur de Villebourg)により宗教教育を授けられた。1670年10月12日洗礼式があり正式に改宗。1684年にはサン=シャルル=ラ=フォレに教会堂を建立し、これを聖カルロ・ボッロメーオに奉献している。
1672年の父の死、1674年の祖父の死により家督を継承。1675年より内廷侍従長を務めた。同じ1675年4月3日、クレキ公爵シャルル3世・ド・クレキとその妻アンヌ=アルマンドの間の跡取り娘マドレーヌ・ド・クレキ(1655年 - 1707年)と結婚。ルイ14世王の義妹オルレアン公爵夫人リーゼロッテとは互いの母親が姉妹の従姉弟同士だったので、親しく付き合った。1688年12月31日聖霊勲章を受章。1709年義父から相続したクレキ邸(Hôtel de Créquy)で死去。
子女
[編集]- マリー=アルマンド=ヴィクトワール(1677年 - 1717年) - 1696年、ブイヨン公エマニュエル・テオドーズと結婚
- シャルル=ルイ=ブルターニュ(1683年 - 1719年) - トゥアール公
参考文献
[編集]- François-Alexandre Aubert de La Chenaye-Desbois, Dictionnaire de la noblesse, 3. Ausgabe, Band 19, Spalte 194
- Louis Moréri, Le grand dictionnaire historique, Band 10, 1759, S. 324
- Michèle Ménard, Une histoire des mentalités religieuses aux XVIIe et XVIIIe siècles, Paris, Éditions Beauchesne, 1980, S. 94, ISBN 978-2-70101-014-4
- Detlev Schwennicke, Europäische Stammtafeln , Band 10, 1986, Tafel 3
- Christophe Levantal, Ducs et Pairs et Duchés-Pairies laïques à l’époque moderne (1519–1790), Paris, Maisonneuve & Larose, 1996, S. 929f, ISBN 978-2-70681-219-4
外部リンク
[編集]- Étienne Pattou, Maison de La Trémoïlle, S. 7 (online, abgerufen am 21. Mai 2021)