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シャルル・トマ・ド・ロレーヌ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

シャルル・トマ・ド・ロレーヌ=ヴォーデモンCharles Thomas de Lorraine-Vaudémont, 1670年3月7日ブリュッセル - 1704年5月14日オスティーリア)は、国境地域のロレーヌ公爵家の血族で、神聖ローマ皇帝ハプスブルク君主国)の元帥ドイツ語名はカール・トマス・フォン・ロートリンゲン=ヴォーデモンKarl Thomas Prinz von Lothringen-Vaudémont)。 ヴォーデモン公シャルル・アンリ・ド・ロレーヌロレーヌ公シャルル4世の息子)と、その妻アンヌ・エリザベート・ド・ロレーヌ(エルブフ公シャルル3世の娘)の間の一人息子として生まれた。

祖父や父と同様に反フランスの立場からハプスブルク家に仕官した。1697年大トルコ戦争ドナウ川戦線に派遣され、ハンガリーの反乱鎮圧後にプリンツ・オイゲンの軍と合流、父方の従兄のシャルル・フランソワ・ド・ロレーヌと共にゼンタの戦いオスマン帝国と戦った。1700年金羊毛騎士団騎士に叙任、スペイン継承戦争が始まるとオイゲンの麾下でイタリアにおいて戦った。1702年クレモナの戦いおよびルッザーラの戦いで戦功を立て、功績を認められてグイード・フォン・シュターレンベルク伯爵と共に陸軍元帥に昇進した。

1704年、オスティーリアでの戦闘で致命傷を負い、4日後に34歳で死去した。独身で子供はいなかった。

参考文献

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  • Karl Sommeregger (1908). "Vaudémont, Karl Thomas Prinz". Allgemeine Deutsche Biographie (ドイツ語). Vol. 54. Leipzig: Duncker & Humblot. pp. 737–738.