ザ・バッド・ボーイズ
ザ・バッド・ボーイズ The Bad Boys | |
---|---|
出身地 | 日本 |
ジャンル | ロック |
活動期間 | 1969年 - 1975年 |
レーベル |
東芝EMI 東宝レコード |
旧メンバー |
廣田龍人(ジョン・レノン役) 清水仁(ポール・マッカートニー役) 川端孝博(ジョージ・ハリスン役) 城間正博(リンゴ・スター役) |
ザ・バッド・ボーイズ (The Bad Boys) は、1970年代半ばに活動していた日本のロックバンド。廣田龍人と清水仁を中心としたバンドであり、ビートルズのコピーバンドとして知られていた[1][2][3]。
概要
[編集]大阪市立鶴見橋中学校で廣田龍人と清水仁が知り合い、一緒にバンド活動をするようになった[1]。
1969年に、メンバーが、廣田(ジョン・レノン役)と清水(ポール・マッカートニー役)に加え、川端孝博(ジョージ・ハリスン役)、城間正博(リンゴ・スター役)となり、ザ・バッド・ボーイズとして活動を始めた[3]。
1973年5月に上京、同年10月には、ビートルズの日本独自編集の1枚目のアルバム『ビートルズ!』を完全コピーしたデビュー・アルバム『MEET THE BAD BOYS』をリリースした。同時期に、岡本おさみ・作詞/吉田拓郎・作曲の楽曲「ビートルズが教えてくれた」を、デビュー・シングルとしてリリースした[3]。その後、1976年まで活動していたが、清水が脱退してオフコースに参加し、バンドとしての活動は途絶えた[1][2]。
清水がオフコースに参加して2年後の1978年12月、オフコースのドラマーの大間ジローが急病の為一時グループ活動を離脱。大間が復帰するまでの約2ヶ月間城間が大間の代役としてライブ等で活動をしている。
バンド名は、ビートルズがレパートリーのひとつとして演奏していたラリー・ウィリアムズの楽曲「バッド・ボーイ」に由来している[1]。
デビュー・アルバム『MEET THE BAD BOYS』は、1989年に2枚のシングルAB面4曲を追加して東芝EMIの「極東ロックコレクション」シリーズの1枚として初CD化。また、2014年には別名儀エレクトリック・ナッツ・メロウ・ストリングド・カルテットとしてリリースされた、ビートルズの楽曲のカラオケ・アルバム『ウィズアウト・ザ・ビートルズ』もCD化された[3]。
2016年11月30日、赤坂グラフティでの廣田のオリジナルソロライブで清水がベースとして参加。バッドボーイズの幻のオリジナル曲「渚のふたり」を演奏。アンコールでは観に来ていた城間もステージに上がりドラムを叩く。廣田、清水、城間の3人が同じステージで演奏するのは1989年12月のジョン・レノン追悼ライブ以来27年振りだった。
メンバー
[編集]人名 | 生年月日 | 出身地 | 担当 |
---|---|---|---|
廣田龍人 (ひろた りゅうじん) |
1951年2月3日(73歳) | 広島県 | ギター・ボーカル ジョン・レノン 役 |
清水仁 (しみず ひとし) |
1950年11月25日(74歳) | 大阪府大阪市西成区 | ベース・ボーカル ポール・マッカートニー 役 |
川端孝博 (かわばた たかひろ) |
1950年2月12日(74歳) | 大阪府泉南市 | ギター・ボーカル ジョージ・ハリスン 役 |
城間正博 (しろま まさひろ) |
1952年4月6日(72歳) | 大阪府大阪市西成区 | ドラム・ボーカル リンゴ・スター 役 |
ディスコグラフィー
[編集]シングル
[編集]- ビートルズが教えてくれた(作詞/岡本おさみ 作曲/吉田拓郎)
c/w チークを踊ろう(作詞・作曲/吉田拓郎)(1973年10月5日) - 僕と踊ろう(作詞・作曲/ファン・リック・ヨーナム)
c/w アイツのせい(作詞・作曲/小田和正 補作詞/ザ・バッド・ボーイズ)(1975年8月)
アルバム
[編集]- MEET THE BAD BOYS(1973年)
- ウィズアウト・ザ・ビートルズ(発売日不明)
- エレクトリック・ナッツ・メロウ・ストリングド・カルテット名義。
脚注
[編集]- ^ a b c d “ザ バッド ボーイズ”. 廣田龍人. 2015年6月2日閲覧。
- ^ a b “アーティスト詳細 ザ・バッドボーイズ”. タワーレコード (2014年7月16日). 2015年6月2日閲覧。
- ^ a b c d “バッド・ボーイズ -エレクトリック・ナッツ・メロウ・ストリングド・カルテット- ウィズアウト・ザ・ビートルズ”. 芽瑠璃堂. 2015年6月2日閲覧。
外部リンク
[編集]- 夢のビートルズ完全コピーバンドTHE BADBOYS 日本の音楽史にその足跡を残す! - 廣田龍人公認のファンサイトにおける記述