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ザ・デイ・アフター

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ザ・デイ・アフター
The Day After
監督 ニコラス・メイヤー
脚本 エドワード・ヒューム
製作 ロバート・A・パパツィアン
音楽 デイヴィッド・ラクシン
撮影 ゲイン・レシャー
編集 ロバート・フロリオ
ウィリアム・ポール・ドーニッシュ
配給 日本の旗 松竹富士
公開 日本の旗 1984年1月
上映時間 127分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
配給収入 7億1500万円[1] 日本の旗
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ザ・デイ・アフター』(原題: The Day After)は、アメリカ合衆国で1983年に製作され高視聴率を記録したテレビ映画。放送時間は2時間7分でABCネットワークが1983年11月20日に放送した。

レーガン政権下の軍備拡張競争による冷戦下における米ソ対立の深刻化という国際的背景があり、第三次世界大戦勃発による核兵器実戦使用の恐怖が描かれている。

あらすじ

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米ソ対立がエスカレートした結果、西ベルリン封鎖を端緒にして東西ドイツ国境ではソビエト連邦率いるワルシャワ条約機構軍(WTO軍)が西ドイツに侵攻し、それに対するアメリカ合衆国側の北大西洋条約機構(NATO)軍は核地雷などにより防ごうとする。しかし、ブリュッセルのNATO事務局が、WTO軍の核攻撃を受けて壊滅した。

東欧での米ソ間の武力衝突により、どちらが先に実行したかは不明ながら、ついに全面核戦争が勃発する。アメリカ中部カンザスシティは平和な町であったが、市内のミサイルサイロ[2]から東側陣営の都市に向けてICBMが射出され、ソ連からもやはりミサイル攻撃を受ける。着弾まで30分しかないなか、市民はパニック状態に陥ってフリーウェイに殺到する。まもなく高高度核爆発の一撃で全市の電子機器が破壊され、続けて数発のミサイルが着弾し、カンザスシティは米ソの多くの大都市と同様に一瞬で壊滅した。

その後、米ソ間で休戦協定が締結された結果、即座に人類が滅亡することは無くなった。しかし、本当の地獄はその日の後(The Day After)から始まる。つまり、核爆発にともなう破壊から生き残った人々も、放射線障害による死の影からは逃れられなかったのである。

反応

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アメリカでは1983年11月20日にABCテレビで放映された。エーシーニールセン調べでは、推定で3855万世帯・1億23万人が視聴し(全米での視聴率46.0%、占拠率70%。特に視聴率の高いデトロイトでの視聴率59.0%、占拠率75%)[3]、核戦争の恐怖に対する衝撃を与えた一方、政治的メッセージが強すぎるとの反対意見も上がった。また、バスタブに浸かっている女性の遺体など映像が衝撃的であったが、広島長崎被爆者とは違い、焼け爛れた遺体は出ていない。この措置はテレビ局側の自主規制が原因であるとされている。

エミー賞の12部門にノミネートされ、2部門で受賞した。作品自体が高い評価を受け、プライムタイム・エミー賞 作品賞 (テレビ映画部門)にノミネートされた。

日本では、1983年11月26日NHK土曜リポート』で、本番組とその直後に行われた討論会の一部を紹介した(ニールセン調べ・関東地区での視聴率は7.2%)[3]。続いてアメリカでのテレビ放送から約1か月後の1984年1月に松竹富士系列で劇場公開されたが、興行的には失敗だったと言われる。その約9か月後の同年10月21日テレビ朝日日曜洋画劇場』で当時としては異例の早期放映となり、30.0%の高視聴率(2011年11月現在、同枠における『スーパーマン』『エマニエル夫人』に次ぐ歴代視聴率第3位)を記録した。その約9か月後、1985年8月11日には同枠で再放映された。

スタッフ

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キャスト

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吹替その他、大木民夫土井美加石丸博也菊池英博冨永みーな大久保正信平林尚三藤本譲横尾まり幸田直子安西正弘丸山詠二高畑淳子高島雅羅秋元羊介西村知道津田英三谷口節幹本雄之柳沢紀男田原アルノ鷲野巣鼓弓中村友和佐々木豊

関連作品

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参考文献

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  • 乾直明『外国テレビフィルム盛衰史』晶文社1990年、p438-p439

脚注

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  1. ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)430頁
  2. ^ この射場は実在したもので、冷戦終結後に廃止され、21世紀現在はリノベーションされてゲーテッドコミュニティとなっている。
    「ミサイル基地がマンションに変身!地中に埋まったミサイルマンションとは?」1/3 2/3 3/3 マンション・ラボ2015年6月18日
  3. ^ a b 「パーセントの裏っ側 『ザ・デー・アフター』米国の視聴状況」『サンデー毎日』1983年12月18日号、157頁。

外部リンク

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