サント=マリー=ド=ラ=メール
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Saintes-Maries-de-la-Mer | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏 |
県 (département) | ブーシュ=デュ=ローヌ県 |
郡 (arrondissement) | アルル郡 |
小郡 (canton) | アルル小郡 |
INSEEコード | 13096 |
郵便番号 | 13460 |
市長(任期) |
ロラン・シャサン (2014年-2020年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté d'agglomération Arles-Crau-Camargue-Montagnette |
人口動態 | |
人口 |
2 680人 (2015年) |
人口密度 | 7.2人/km2 |
住民の呼称 | Saintois |
地理 | |
座標 | 北緯43度27分10秒 東経4度25分43秒 / 北緯43.452778度 東経4.428611度座標: 北緯43度27分10秒 東経4度25分43秒 / 北緯43.452778度 東経4.428611度 |
標高 |
平均:? m 最低:0 m 最高:6 m |
面積 | 374,61km2 (37 461ha) |
公式サイト | Site de la mairie |
サント=マリー=ド=ラ=メール(Saintes-Maries-de-la-Mer)は、フランスのブーシュ=デュ=ローヌ県アルル郡の都市。
コミューンの面積は、フランス・メトロポリテーヌにおいてアルル、ヴァル=スニに次いで第3位の広さを持つ。カマルグの主都であり、カトリックの巡礼地であり、プロヴァンスの海辺のリゾート地でもある。
都市の名前は「海(から)の聖マリアたち」の意味であり、この市名は後述の伝説に基づいている。
市名の由来となった伝説
[編集]ナザレのイエスが磔刑に処せられた後、3人のマリア(マグダラのマリア、マリア・サロメ、マリア・ヤコベ)、従者のサラ、マルタ、ラザロたちが、エルサレムから小舟で逃れてこの地へと流れ着いた。彼女たちのうち、マリア・ヤコベとマリア・サロメの2人とこれに従うサラがこの地に残った。これがこの市の名の由来であるとされる(このため、市名は「海の2人の聖女マリア」などのように訳されることもある)。ちなみに、伝説では、マグダラのマリアはサント=ボーム山塊へ、マルタはタラスコンへ赴いたとされており、それぞれの地には彼女たちにちなんだ伝説が残っている。
観光・祭事
[編集]- 教会 - この地で歿した2人のマリアが眠っているとされる。
- 5月と10月の祭り - 2人のマリアにちなむ祝日に盛大な祭りが行われる。従者サラがロマの守護聖人であったことから、ロマが大勢集まる祭りとしても知られる。
人口統計
[編集]1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2006年 | 2015年 |
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2179 | 2244 | 2120 | 2045 | 2232 | 2479 | 2341 | 2680 |
参照元:1962年から1999年までは複数コミューンに住所登録をする者の重複分を除いたもの。それ以降は当該コミューンの人口統計によるもの。1999年までEHESS/Cassini[1]、2006年以降INSEE[2][3]
姉妹都市
[編集]ギャラリー
[編集]-
ゴッホの描いたサント=マリー=ド=ラ=メールの海
-
港
主な出来事
[編集]- 2020年 - フランス憲兵隊が、トップレスで日光浴をしていた女性に服を着るように注意。この様子がSNSを通じて拡散すると憲兵隊を批判し、女性の権利を擁護する声が高まった。憲兵隊はフェイスブックを通じて対応に「不手際」があったと認めたが事態は収束せず、最終的にダルマナン内相が「自由は貴重なものだ。犯した間違いを当局が認めるのは当然のことだ」と表明するに至っている[4]。