サロメ角田
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サロメ 角田(サロメ つのだ、1948年1月1日[1] - )は日本の元女優。トルコ風呂(現ソープランド)で働きながら女優やタレントとして活動した、ソープランド出身の最初のスターである。東京都板橋区出身、本名は榎本暁子[1][2][3]。
経歴
[編集]中学卒業後、住み込みの看護婦見習いで都内の病院に就職したが、23歳の時に銀座のクラブで働き始め、いくつかの店を転々とした後、トルコ風呂で1年半ほど働き始める[4]。その間、女優になるべく東映ニューフェイスに応募し不合格になったが、映画監督の向井寛に誘われて『世界 淫欲トルコ風呂』に出演する。仕事で培ったテクニックで熱演し、現役トルコ嬢女優としてマスコミで話題となり、トルコの女王と呼ばれる。その知名度を活かして『ポルノ劇団・サロメ座』を結成し、全国のキャバレーやストリップ劇場などを回り、ソープランドのサービスの1つである泡踊りを披露して一般大衆に知らしめた。『11PM』(日本テレビ)などの深夜番組にも積極的に出演した[5][2]。
1977年5月から1981年まで、都内で麻雀店、『サロメ角田の部屋』を経営していた[6]。
1985年4月、会社員の男性と結婚して芸能界は引退した[7][3]。
2002年11月、占い学校に通い始め、易学や四柱推命等を学び、『アンジュの園』という占いの館を開いた[8]。
出演映画
[編集]- 世界 淫欲トルコ風呂(原題『Massage Parlor Wife』アメリカ映画、1975年11月18日、東映洋画)
- 実録(秘)トルコ嬢物語(主演、1976年5月15日、ユニバースプロダクション)
- サロメ角田の悶絶玉くずし(主演、1976年6月、東映)
- 獣色性奴隷(主演、1976年7月、新東宝)
- トルコ最新テクニック 吸舌(1976年10月9日、日活ロマンポルノ)
- 蛇と女奴隷(1976年10月16日、東映)
- にっぽん夜這い祭り(1977年8月20日、東映)
- 悶絶高級トルコ 純ナマ洗い(1977年10月15日、日活ロマンポルノ)
- 発禁縛り夫人(1978年1月、新東宝)
- 出張トルコ また行きます(1978年4月1日、日活ロマンポルノ)
- 若妻淫蕩狂い(1980年1月19日、日活ロマンポルノ)
- 新版 トルコにっぽん大全集(1980年8月9日、東映セントラルフィルム)
- 獣色肉奴隷(1982年10月、新東宝)
レコード
[編集]- 女が髪をほどく時/お熱いうちに - JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント
脚注
[編集]- ^ a b “サロメ角田”. KINENOTE. キネマ旬報社. 2023年2月25日閲覧。
- ^ a b 伊藤裕作、週刊大衆特別取材班『ドキュメント戦後「性」の日本史 : 援助交際少女でもわかる歴史教科書』双葉社、1997年11月30日、233頁。ASIN 4575288004。ISBN 4-575-28800-4。 NCID BA34180847。OCLC 674766325。全国書誌番号:99044222。国立国会図書館書誌ID:000002718394。
- ^ a b 日外アソシエーツ 編『テレビ・タレント人名事典』(第3版)紀伊國屋書店、1997年7月25日、[要ページ番号]頁。ASIN 4816914412。ISBN 4-8169-1441-2。 NCID BA31134887。OCLC 674689586。全国書誌番号:98024142。国立国会図書館書誌ID:000002624244。
- ^ 『男性自身』1980年3月5日号、双葉社、119-113頁。
- ^ キネマ旬報社 編『日本映画人名事典』 女優篇《上巻》、キネマ旬報社、1995年8月4日、[要ページ番号]頁。ASIN 4873761409。ISBN 4-87376-140-9。 NCID BN1313502X。OCLC 674671348。全国書誌番号:96037884。国立国会図書館書誌ID:000002475516。
- ^ 『週刊大衆』1977年11月10日号、双葉社、16-19頁。
- ^ 「ワイド 戦後30年あのヒロインたち」『週刊ポスト』1995年1月13・20号、小学館、1995年1月、49-50頁、doi:10.11501/3380435、全国書誌番号:00010892。
- ^ 『週刊ポスト』2003年5月23日号、小学館、228頁。