couples
『couples カップルズ』 | ||||
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ピチカート・ファイヴ の スタジオ・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 | 1987年1月7日 | - 2月|||
ジャンル | ||||
レーベル | CBS/SONY | |||
プロデュース | the group | |||
ピチカート・ファイヴ アルバム 年表 | ||||
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『couples』収録のシングル | ||||
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『couples』(カップルズ)は、1987年4月1日ピチカート・ファイヴ1作目のスタジオ・アルバム。
に発売された解説
[編集]細野晴臣プロデュースによりテイチクのノン・スタンダード・レーベルからデビューしたピチカート・ファイヴは、そこではアルバムを作ることなく、細野とテイチクとの契約満了により居続けることが出来なくなったため、再びアマチュアのバンドに戻ろうとしていた。CBSソニー(当時)のディレクター河合マイケルにピチカートを推薦したのは、細野の個人事務所「ミディアム」でマネージメント業務に就いていた杉村純子だった。1985年8月 のレコード・デビューから1986年2月 まで、所属事務所のなかったピチカート・ファイヴはミディアムに預り、というかたちで籍を置かせてもらっていた。そしてソニーへ移籍するタイミングで杉村がミディアムから独立し、そのままピチカート・ファイヴのマネージメントを続けることになった。杉村から相談を受けた南青山の輸入レコード店「パイド・パイパー・ハウス」店長(当時)の長門芳郎は「じゃあ、いっそのこと、彼らの事務所を作ろう」と、長門が代表となり、ピチカート・ファイヴの事務所「グレイテスト・ヒッツ」が設立された。店の斜め向かいにあったパイド・パイパー・ハウスの事務所内に杉村のデスクと専用電話が置かれ、業務が開始された。長門は“場所を提供するだけの名ばかりの社長”ということで、ピチカート・ファイヴと杉村を陰で支えることになった。
小西康陽によれば、河合を紹介されたのは1986年 の春だったが、そこからすぐにソニーとレコーディング契約を交わしたわけではなく、会ってから契約、アルバム制作まで半年以上ブランクがあったという。河合が当時、制作ディレクターとして担当していたあるアーティストがピチカート・ファイヴに興味を持ってくれていて、プロデューサーとして関わってもらえるならば大きな助けになる、という話があって、たぶん河合も小西たちもそのアーティストにそうしてもらえるのをずっと待っていたが、その話が結局立ち消えとなって、「それなら俺がやるから」と河合が宣言したのだという[1]。
ソニーに移籍後すぐに参加することになったクリスマス企画盤『WINTER LOUNGE』[注釈 1]のために<キスキス バンバン>をレコーディングした翌週、河合が小西の部屋を訪れ、アルバムの打ち合わせが行われた。そこで、ノン・スタンダード時代から一変して、打ち込みではなく全てスタジオ・ミュージシャンによるレコーディングとすること、ミキサーに吉田保を起用すること。そして作詞は基本的に小西が全てを手がけるということが決められた[2]。小西は1986年12月 の最初の1週間を札幌の実家で作曲とデモテープ作りを行い、1987年1月7日 からレコーディングは始まり、約4週間で全てを録り終えた[2]。
レコーディング
[編集]それまでシンセを使った打ち込みのスタイルで行っていたレコーディングを、いきなり生演奏で、ということになってどのように思ったかについて、小西は「冒険だなと思いましたが、乗るしかないとも思っていました。生演奏でのディレクションをやってみたかったんですよね。でも、やりかたは何ひとつわかっていなかった。ノン・スタンダードの時にEPOさんのクリスマス・ソングのアレンジをやらせてもらったんですけど、トロンボーンのソロを入れたいと思って、トロンボーンの音色ってどのシンセサイザーで出したらいいんだろうということを事務所で話していたら、たまたま横にいた細野さんが“トロンボーンだったら吹いてもらえばいいじゃない”と言ってくれたんです。それくらいわかっていなかった。目の前にあるシンセで作るしかないという方法論しか持ち合わせていなかったんです。いきなり生演奏でやろうと言われてびっくりしたんですけれど、考えてみれば僕の音楽は生楽器、生のミュージシャンで出来てしまう。僕らの音楽がそうだということを自分たちが気付かずに、(河合)マイケルが先に気づいていたんです」[1]という。
それまでスタジオ・ミュージシャンとやり取りする経験のなかった小西にとって、実際のレコーディングは「4週間ほどのレコーディングだったんですが、その期間は戸塚ヨットスクールに入れられていたような感じでしたね。僕の曲のオーケストレーションを高校時代の友人が担当したんですけれど、もともと転調が多い上に、テンションになる音を第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリンでとってほしかったこともあり、記譜上のミスが重なってしまって滅茶苦茶な状況になってしまった。ストリングスの人からは色々と言われるんだけど、対応できなくて。トラウマになるくらいのレコーディングでしたね。でも、この4週間で知ったこと、経験したことは数知れないです」[1]と、後にインタヴューで答えている。
アートワーク、パッケージ
[編集]アルバム・ジャケットのデザインは当時、ソニーの社内デザイナーだった田淵稔が担当しているが、小西によれば「ジャケットのレイアウトや写真は僕が決めました。佐賀町のエキジビット・スペースで撮影したんですが、表4のメンバー写真を桑本正士さんが撮っている間に、田淵さんがトイレの洗面台で表1の写真撮影をしていたんです。“カップルズ”ということで、マグカップと歯ブラシ、歯磨き粉で表現しようというアイデアを出した記憶がある。その紙焼きを見せてもらったところ、1枚を除いて、ピントがしっかり合っていたんですね。それでそのぼんやりしている1枚を選んだ。ピントが合っていると生々しくて、味気ないので。ジャケットの文字のフォントもプレステッジかパシフィック・ジャズのレコードを持っていって、こんな感じで、と言った気がします」[1]という。
リリース
[編集]1995年a quiet couple』[注釈 2]が、見開き紙ジャケット仕様でリリースされた。
にソニー時代のカタログが品番改定により再発された際、リミックスによりボーカル・トラックを抜いた完全カラオケ盤の『批評
[編集]本作は第二次バンドブームが起きていた当時の邦楽では唯一と言えるソフトロック志向で、過去の楽曲のサンプリングを積極的に盛り込んでいるため、1990年代渋谷系の前史として位置付けられる。
収録曲
[編集]- マジカル・コネクション magical connection (2:48)
- 日本語詞:長門芳郎、詞 ⁄ 曲:J.B.Sebastian
- サマータイム・サマータイム summertime, summertime (3:36)
- 皆笑った they all laughed (3:27)
- 連載小説 serial stories (4:19)
- 詞 ⁄ 曲:小西康陽
- 小西曰く、ロジャー・ニコルズ(Roger Nichols)<Someday Man>そのままで、Aメロ“窓ガラス越しに”のコード進行から“悲しくなるほど”のBへの進行は自らほとんど同じだという。でもメロディは全然違う運びで、かなりこなれた言葉に乗せていて、今聴いても自然だという。また、Bでの“〜なるほど好きなの”の3回繰り返しが自分らしいともしている[3]。この曲は後にアルバム『PIZZICATO FIVE』[注釈 5]にて歌詞が一部変更され、野宮のボーカルでセルフ・カバーされた。
- アパートの鍵 the apartment (3:31)
- 詞:小西康陽、曲:高浪慶太郎
- そして今でも what now our love (3:29)
- 詞 ⁄ 曲:小西康陽
- 小西によれば、この曲におけるCのサビでの“きっと私は〜”での転調はニルソン(Harry Nilsson)の<Without Her>からの影響だという。またこの曲は田島貴男在籍時のライブでも幾度かレパートリーとして取り上げられた。田島のボーカルでのライブ・ヴァージョンが後にベスト・アルバム『THE BAND OF 20TH CENTURY:Sony Music Years 1986-1990』[注釈 6]のボーナス・ディスクに収録された。
- 七時のニュース seven o'clock news (2:26)
- 詞:小西康陽、曲:鴨宮諒
- おかしな恋人・その他の恋人 odd couple and the others (3:37)
- 憂鬱天国 my blue heaven (3:35)
- パーティー・ジョーク party joke (1:54)
- 曲:高浪慶太郎
- この曲は別アレンジによるリテイク・バージョンが、後にアルバム『月面軟着陸』[注釈 3]に収録された。
- 眠そうな二人 two sleepy people (3:08)
- 詞 ⁄ 曲:小西康陽
- 小西によれば、この曲は最も多くライブを行っていた時期にラヴァーズ・ロックふう、レア・グルーヴふうと様々なアレンジでやってみたが、わりとどんなアレンジでもOKだったという[3]。田島在籍時のライブでは<リップ・サーヴィス>とメドレーで取り上げられ、『THE BAND OF 20TH CENTURY:Sony Music Years 1986-1990』[注釈 6]にライブ・バージョンが収録されている。また、アルバム『月面軟着陸』[注釈 3]にて田島と野宮のボーカルでセルフ・カバーされ、さらにシングル<ラヴァーズ・ロック>[注釈 7]のカップリング曲としてリミックス・ヴァージョンが収録された。
- いつもさようなら everytime we say goodbye (2:44)
- 詞:小西康陽、曲:高浪慶太郎
クレジット
[編集]couples ; pizzicato V |
the group ; |
musicians ; | ||
中原信雄 |
| |
鶴来正基 |
|
arrangers ; 長谷川智樹、井上大介 |
produced by the group |
executive producer ; 石井俊雄 |
associate producers ; 朝妻一郎、長門芳郎 |
director ; 河合マイケル |
remixing engineer ; 吉田保 |
recording engineers ; 大森政人、大野邦彦、森岡徹也、中村悦弘 |
assistant engineers ; 内藤哲也、太田泰彦、宮島哲博、関口利之 |
cutting engineer ; 笠井鉄兵 |
art directors ; 田淵稔、小西康陽、高浪慶太郎 |
photographers ; 桑本正士、田淵稔、杉村純子 |
management ; 杉村純子 for “The Greatest Hits” |
the small circle of friends ; |
SRCL 3373
[編集]『couples カップルズ』 | |||||
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ピチカート・ファイヴ の スタジオ・アルバム | |||||
リリース | |||||
録音 | 1987年1月7日 | - 2月||||
ジャンル | |||||
レーベル | CBS/SONY | ||||
プロデュース | the group | ||||
ピチカート・ファイヴ アルバム 年表 | |||||
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小西康陽 年表 | |||||
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解説
[編集]1995年11月1日
、ソニー時代のカタログ全4タイトルが最新リマスタリング音源によりリイシュー。初回盤は三方背BOX仕様。2004年 には、ピチカート・ファイヴ解散3周年を記念して品番を改め再発売された。収録曲
[編集]- マジカル・コネクション magical connection – (2:49)
- 日本語詞:長門芳郎、詞 ⁄ 曲:J.B.Sebastian
- サマータイム・サマータイム summertime, summertime – (3:36)
- 詞 ⁄ 曲:小西康陽
- 皆笑った they all laughed – (3:27)
- 詞:小西康陽、曲:高浪慶太郎
- 連載小説 serial stories – (4:22)
- 詞 ⁄ 曲:小西康陽
- アパートの鍵 the apartment – (3:33)
- 詞:小西康陽、曲:高浪慶太郎
- そして今でも what now our love – (3:31)
- 詞 ⁄ 曲:小西康陽
- 七時のニュース seven o'clock news – (2:27)
- 詞:小西康陽、曲:鴨宮諒
- おかしな恋人・その他の恋人 odd couple and the others – (3:39)
- 詞:小西康陽、曲:鴨宮諒
- 憂鬱天国 my blue heaven – (3:37)
- 詞 ⁄ 曲:小西康陽
- パーティー・ジョーク party joke – (1:55)
- 曲:高浪慶太郎
- 眠そうな二人 two sleepy people – (3:09)
- 詞 ⁄ 曲:小西康陽
- いつもさようなら everytime we say goodbye – (2:45)
- 詞:小西康陽、曲:高浪慶太郎
クレジット
[編集]ON THIS EDITION |
Producer : 河合マイケル (Sony Records) |
Executive Producer : 渡辺純一 (Sony Records) |
Associate Producer : 寺川智紀 (Fuji Pacific) |
A&R : 井上敦史 (Sony Records) |
Art Director : 信藤三雄 (C.T.P.P.) |
Designer : 北山雅和 (C.T.P.P.) |
Production Co-ordinator : 三木孝浩 (SMC)、大熊和恵 (SMC) |
Promotion Staff : 宇田明則 (Sony Records) |
Remastered by BOBBY HATA (DISC LAB) |
リリース日一覧
[編集]地域 | リリース日 | レーベル | 規格 | カタログ番号 | 備考 |
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日本 | 1987年4月1日 | CBS/SONY | 28AH 2161 | 帯の代わりにステッカーを貼付。 | |
28KH 2123 | |||||
CD |
32DH 637 | ||||
1995年11月1日 | Sony Records | CD |
SRCL 3373 | ニュー・マスタリング音源使用。 初回仕様:三方背BOX | |
CD |
SRCL 3372 |
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2004年4月28日 | GT music ⁄ SMDR | CD |
MHCL 363 | 品番改定によるソニー・レコード盤の再発。 | |
2016年8月24日 | GREAT TRACKS ⁄ GT music ⁄ SMDR | MHCL 30392 | |||
LP |
MHJ7 1 |
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Sony Music | デジタルダウンロード | - |
通常音質 / ハイレゾ音源 |
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ Pops All Stars『WINTER LOUNGE』 1986年11月21日 発売 CBS/SONY LP:28AH 2117
- ^ 『a quiet couple』1995年11月1日 発売 Sony Records CD:SRCL 3372
- ^ a b c 『月面軟着陸』 1990年5月21日 発売 CBS/SONY CD:CSCL 1149
- ^ 野宮真貴『30 〜Greatest Self Covers & More!!!〜』 2012年1月25日 発売 Sony Music Associated Records CD:AICL 2343
- ^ 『PIZZICATO FIVE』 1999年11月20日 発売 ******* records ⁄ HEAT WAVE CD:COCP-50186
- ^ a b c 『THE BAND OF 20TH CENTURY:Sony Music Years 1986-1990』 2004年4月28日発売 GT music ⁄ SMDR 2CD:MHCL 361/2
- ^ 「ラヴァーズ・ロック」1990年6月21日 発売 CBS/SONY CD:CSDL 3131
出典
[編集]- ^ a b c d e 油納将志「小西康陽インタヴュー “渋谷系”の出発点となったピチカート・ファイヴの2作が最新リマスターのアナログ盤で登場」『レコード・コレクターズ』第35巻第10号、株式会社ミュージック・マガジン、2016年10月1日、114-119頁、JAN 4910196371067。「マスター・テープの保存状態は完璧」
- ^ a b c d 小西康陽PIZZICATO FIVE「マイケルへのメッセージ message to Michael」『ANTIQUE 96』、Sony Records、2頁、1995年。SRCL 3370。
- ^ a b c 『ピチカート・ファイヴ・ソングブック』全音楽譜出版社 1998年12月10日 発行
外部リンク
[編集]- SonyMusic
-
- カップルズ – ディスコグラフィ
- カップルズ【限定プレス アナログLP】 – ディスコグラフィ
音楽配信サイト
[編集]その他
[編集]- Pizzicato-Five-Couples - Discogs (発売一覧)