サイモン子爵
サイモン子爵 Viscount Simon | |
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Arms:Gules three Lotus Flowers in pale proper between two Flaunches Or each charged with a Lion rampant of the field Crest:Upon a Well proper an Eagle rising Or Supporters:Dexter: a Guillemot; Sinister: a Monal proper
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創設時期 | 1940年5月20日 |
創設者 | ジョージ6世 |
貴族 | 連合王国貴族 |
初代 | 初代子爵ジョン・サイモン |
最終保有者 | 3代子爵ジャン・サイモン |
相続資格 | 初代子爵の嫡出直系男子 |
付随称号 | なし |
現況 | 廃絶 |
断絶時期 | 2021年8月15日 |
モットー | それこそが我が名 (J'Ai Ainsi Mon Nom) |
サイモン子爵(英: Viscount Simon)は、かつて存在した連合王国貴族の子爵位。
挙国派自由党の政治家ジョン・サイモンが1940年に叙されたのに始まるが、第3代サイモン子爵ジャン・サイモンが2021年に死去したことによって廃絶した。
歴史
[編集]ジョン・サイモン(1873-1954)は、マクドナルド挙国一致内閣に残留するかどうかをめぐって1932年に自由党が分裂した後に残留派の挙国派自由党を率いた人物でマクドナルド挙国一致内閣と続く保守党政権で内務大臣(在職1915年-1916年、1935年-1937年)や外務大臣(在職1931年-1935年)、財務大臣(在職1937年-1940年)などの重要閣僚職を歴任した[1]。そして1940年5月20日にチャーチル内閣の大法官(貴族院議長)(在職1940年-1945年)に就任するために連合王国貴族爵位ペンブルック州におけるスタックポール・エリダーの初代サイモン子爵 (Viscount Simon, of Stackpole Elidor in the County of Pembroke)に叙せられて貴族院議員に列した[2][3]。
初代子爵の死後、その唯一の息子であったジョン・サイモン(1902-1993)が2代子爵を継承した。
2代子爵の死後はその唯一の息子デイヴィッド・サイモン(1940-)が3代子爵位を継承した[2]。彼は1999年の貴族院法制定以降も92議席の世襲貴族枠に残って貴族院議員を務めたが[2]、その彼も2021年に死去した[4]。これにより他に継ぐべき爵位継承資格者もなかったことから、子爵位は廃絶した。
子爵家の家訓は、家名の「サイモン」を含むカンティング・モットー『それこそが我が名(J'Ai Ainsi Mon Nom)』であった[2]。
サイモン子爵 (1940年)
[編集]- 初代サイモン子爵ジョン・オールスブルック・サイモン (John Allsebrook Simon, 1873–1954)
- 2代サイモン子爵ジョン・ギルバート・サイモン (John Gilbert Simon, 1902–1993)
- 3代サイモン子爵(ジャン)・デイヴィッド・サイモン ((Jan) David Simon, 1940-2021)(サイモン子爵位廃絶)
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 690.
- ^ a b c d Heraldic Media Limited. “Simon, Viscount (UK, 1940)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年8月27日閲覧。
- ^ "No. 34854". The London Gazette (英語). 21 May 1940. p. 3028.
- ^ “Deaths of Members - Wednesday 18 August 2021 - Hansard - UK Parliament” (英語). hansard.parliament.uk. 2021年9月26日閲覧。
参考文献
[編集]- クラーク, ピーター 著、市橋秀夫, 椿建也, 長谷川淳一 訳『イギリス現代史 1900-2000』名古屋大学出版会、2004年。ISBN 978-4815804916。
- 坂井秀夫『近代イギリス政治外交史3 スタンリ・ボールドウィンを中心として』創文社、1974年。ASIN B000J9IXRE。
- 松村赳、富田虎男『英米史辞典』研究社、2000年。ISBN 978-4767430478。