ゴーアンドゴー
ゴーアンドゴー | ||||||
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品種 | サラブレッド | |||||
性別 | 牡 | |||||
毛色 | 栗毛 | |||||
生誕 | 1987年 | |||||
死没 | 2000年4月 | |||||
父 | ビーマイゲスト | |||||
母 | アイリッシュエディション | |||||
母の父 | アレッジド | |||||
生国 | アイルランド | |||||
生産者 | モイグレア・スタッド・ファーム | |||||
馬主 | モイグレア・スタッド・ファーム | |||||
調教師 |
ダーモット・K・ウェルド →ウェイン・ルーカス | |||||
競走成績 | ||||||
生涯成績 | 15戦6勝 | |||||
獲得賞金 | 72万7491ドル(ドル換算) | |||||
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ゴーアンドゴー (Go and Go) はアイルランドで生まれ、アイルランドとアメリカ合衆国で調教を受けた競走馬である。アメリカ三冠競走を優勝した唯一のヨーロッパ調教馬である[1]。
概要
[編集]馬主兼生産者はスイスの実業家であるウォルター・ハーフナーで、彼が所有するアイルランド・キルデア県のモイグレア・スタッド・ファームで生まれた。父方の祖父(父の父)はアメリカ二冠馬のノーザンダンサーであるが、父ビーマイゲスト、母の父アレッジドはともにヨーロッパの競走馬であった。
2歳となった1989年にアイルランドでデビュー。2戦目で初勝利を挙げ、次の準重賞も連勝し、ナショナルステークスは7着だった。その後アメリカに遠征し、初のダートコースとなる[2]ローレルフューチュリティを優勝すると、ブリーダーズカップジュヴェナイルに挑戦したが8着に終わり、アイルランドに戻った。
3歳となった1990年は緒戦の準重賞を勝って、アイリッシュダービートライアルを4着として再びアメリカに遠征、ベルモントステークスでは4番人気であったが2着馬のサーティシックスレッドに8 1/4馬身差の圧勝で、アメリカの競馬ファンを驚かせた。騎手はマイケル・キネーン。
そのままアメリカに滞在し、トラヴァーズステークスでは1番人気に推されたが7着、ブリーダーズカップクラシックは競走中止に終わり、地元のウェイン・ルーカス調教師が管理することとなったが、翌1991年にアローワンス競走(一般戦)を勝ったのみに終わり、同年9月の競走を最後に引退した。
引退後はニューヨーク州のウォルドルフ・ファームで種牡馬となり、2000年4月に放牧中の事故により安楽死処分となった。産駒はサウスウェストステークス(米G3)を優勝したホットウェルズを出した程度に終わっている。
競走成績
[編集]血統表
[編集]ゴーアンドゴーの血統(ノーザンダンサー系 / Polynesian 5×5=6.25%、Hyperion 5×5=6.25%(父内)、Ribot 5×5=6.25%(母内)) | (血統表の出典) | |||
父 Be My Guest 1974 栗毛 |
父の父 Northern Dancer1961 鹿毛 |
Nearctic | Nearco | |
Lady Angela | ||||
Natalma | Native Dancer | |||
Almahmoud | ||||
父の母 What a Treat1962 黒鹿毛 |
Tudor Minstrel | Owen Tudor | ||
Sansonnet | ||||
Rare Treat | Stymie | |||
Rare Perfume | ||||
母 Irish Edition 1980 鹿毛 |
Alleged 1974 鹿毛 |
Hoist the Flag | Tom Rolfe | |
Wavy Navy | ||||
Princess Pout | Prince John | |||
Determined Lady | ||||
母の母 Grenzen1975 栗毛 |
Gren Fall | Graustark | ||
Primonetta | ||||
My Poly | Cyclotron | |||
Polywich F-No.10-a |
脚注
[編集]- ^ ほかにアメリカ三冠競走を優勝したアメリカ国外の調教馬は、1971年のケンタッキーダービー、プリークネスステークスを優勝したベネズエラ調教のキャノネロのみである。
- ^ アイルランドでの競走は芝コース。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 競走馬成績と情報 JBISサーチ、Racing Post